秦氏千年の計41 丸に十の字
推古すいこ天皇10年(602年)、百済くだらよりの法師ほうし 観勒かんろくが来朝らいちょうし、曆本れきほんおよび、天文地理てんもんちりの書、遁甲方術とんこうほうじゅつの書を朝廷へ献上し飛鳥寺あすかでらへ留とどまり、 陽 …
大坂《おおざか》は、江戸時代までの「大阪《おおさか》」の呼称。
江戸時代までの、日本国における「商業・金融・物流」の拠点であり、全国の各藩は大坂(大阪)に蔵屋敷などを置き、大半の生活物資は、一旦、生産地から大坂に集められ、再度全国の消費地へ輸送された。
そこから大坂を『天下の台所《てんかのだいどころ》』と呼んだ。
推古すいこ天皇10年(602年)、百済くだらよりの法師ほうし 観勒かんろくが来朝らいちょうし、曆本れきほんおよび、天文地理てんもんちりの書、遁甲方術とんこうほうじゅつの書を朝廷へ献上し飛鳥寺あすかでらへ留とどまり、 陽 …
天武てんむ天皇は、兄の天智てんぢ天皇と同じ母親である斉明さいめい天皇(皇極こうぎょく天皇、2度御即位たびごそくいあそばす)から生まれた同母系兄弟です。 同じ母系の姉妹しまいや兄弟きょうだいは、古いにしえよりの「エオト …
しかし感情が爆発する寸前なのは、そこに居る天皇すめらみことの臣下しんかたちの方で、務めを果たした三輪 逆みわの さかうとその二人の子を、咎人とがびととして処刑した守屋もりやへ、 今にも斬りかからんとするのを悟り、物部守 …
この非常識な行為に、三輪 逆みわの さかうは兵衛つわもののとねりを招集し、殯宮もがりのみやの門を固く閉じて侵入を阻はばみますが、穴穂部皇子あなほべのみこは七度ななたびに渡り夜這よばいました。 けれども殯宮もがりのみや …
敏達びだつ14年(585年)3月、「廃仏派はいぶつは」の物部守屋もののべの もりやは、 「疫病やくびょうは仏教信仰のせい」として、大連おおむらじの権限を乱用し、 蘇我馬子そがの うまこが造営ぞうえいした仏舎ぶっしゃ …
聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。 これは、一度に1 …
聖徳太子しょうとくたいしと百済観音くだら かんのん(聖徳宗総本山 法隆寺) 法隆寺ほうりゅうじは、聖徳太子しょうとくたいしの御父君にあらせられる用明ようめい天皇の発願ほつがんによって、建立こんりゅうされました。 です …
唐物からものの流行は、室町むろまち幕府 第3代将軍 足利義満あしかが よしみつが日明貿易にちみんぼうえきで得た豊富な資金で珍しい唐物からものを購入し、 北山の金閣寺きんかくじに明みん(1368年ー1644年)よりの客 …
戦国時代に、天下布武てんかふぶを以もって既存概念きそんがいねんを打ぶち壊こわし、文化による新秩序しんちつじょを確立しようとする魔王まおうが日本に出現しました。 それが、仏教界から第六天魔王だいろくてんまおうと恐れられ …
その、義政よしまさの茶の指南しなんを務めたともされる、村田珠光むらた じゅこうは奈良の人で、浄土宗じょうどしゅう 称名寺しょうみょうじに出家しゅっけして、 京きょうの都みやこで、臨済宗りんざいしゅう 大徳寺派だいとく …