秦氏千年の計29 不足の美

 その、義政よしまさの茶の指南しなんを務めたともされる、村田珠光むらた じゅこうは奈良の人で、浄土宗じょうどしゅう 称名寺しょうみょうじ出家しゅっけして、

 きょうみやこで、臨済宗りんざいしゅう 大徳寺派だいとくじはの「遁世僧とんせい そう一休宗純いっきゅう そうじゅんと交流し、

 その後、奈良へ帰還して東大寺とうだいじの近く北川端町きたかわばたちょうで、珠光じゅこうもまた遁世僧とんせい そうになるといおりいとなみ、きゃくに茶をもてなします。
 

 奈良なら時代以前にまれた『万葉集まんようしゅう』では、

 農業用の仮小屋かりごやを「イホ・イホリ・カリホ」と言い、「故郷を離れての孤独な住まい」を意味し、しみじみとしたおもむきを込めて使用されました。

 また、山岳修行のための仮小屋かりごやも「イホ」と言い、

 「遁世僧とんせい そう」などの隠者いんじゃが、人里離れていおりに住む様子は、鴨長明かもの ちょうめい方丈記ほうじょうき』など、当時の文学や絵巻物えまきものに見ることが出来ます。
 

 西行法師さいぎょう ほうし日蓮上人にちれん しょうにん明恵上人みょうえ しょうにん一遍上人いっぺん しょうにんらが、

 竹・わらなどを編んだむしろ木枝こえだ木の葉こ はなど、粗末な材料を使用しただけの小屋「草庵そうあん」を拠点とする、宗教活動を行ないました。

 この「草庵そうあん」を茶室とし、客座きゃくざ亭主ていしゅ点前座てまえざを四畳半にまとめた物が、村田珠光むらた じゅこう草庵そうあんちゃです。
 

 これまで客の前で茶をてる際は、高価な唐物からものの茶器を使用していましたが、

村田珠光むらた じゅこうは、ふたの割れた風炉釜ふろがまに竹の柄杓ひしゃくと同じく竹茶杓ちゃしゃく

 そして、ぎのある茶碗ちゃわんでした。

 その茶碗ちゃわん青磁せいじが青くなるべき物が焼き損ねて赤褐色せっかっしょくあかく酸化した、チャイナ民窯みんよう雑器ざっきを用い、

 「和漢わかんこのさかいまぎらわす」とて、茶の世界における和漢わかんの混在を目指し、これまでの唐物からもの変調へんちょうの打破を目論もくろみます。
 

如庵じょあん


日本庭園 有楽苑うらくえん 内に存する国宝三名席こくほう さんめいせきの一つ、茶室如庵じょあん愛知県犬山市

 
 珠光じゅこうの精神が広まるまでにはSNSの無い時代、80年余りをようしますが、

 この「草庵そうあん」での様式がわびちゃ源流げんりゅうり、

 茶会ちゃかいでの博打ばくち飲酒いんしゅを禁止し、

 亭主ていしゅきゃくとの精神交流を重視する茶会ちゃかいのあり方をき、これを高め追及しわびちゃ創始そうしされました。
 

 詰まり、遁世とんせいして世間をのが俗事ぞくじとの関わりをって結んだ亭主ていしゅの「草庵そうあん」へ、きゃくたずねて来て、

 亭主ていしゅは水をんで湯を沸かし、花を摘み、じくを掛け、きゃく精一杯せいいっぱいもてなかたちを取ります。
 

近代的なキャンプを初めて行った人物
トーマス ハイラム ホールディング


近代的なキャンプを初めて行った人物、トーマス ハイラム ホールディング(Thomas Hiram Holding 1844年ー1930年)がキャンプをしている様子。

 
 遁世とんせいは、当時の貴人きじん(セレブリティ)の憧れで有り、

 また昨今さっこんの、「ソロキャンプ」や「田舎暮らし」、あるいは「ロハス」にも共感きょうかんしうる処が有るようにも見受けられ、

 そしてこれは、俗世ぞくせのが隠棲いんせいする老子ろうしの思想にも通ずる物でした。
 

 「珠光じゅこうの物語とて、
   つき雲間くもまのなきはいやにてそろ
           これ面白くそろ
 

 村田珠光むらた じゅこう不足ふそくを、交友の有った能楽師のうがくし金春禅鳳こんぱる ぜんほうに語った言葉です。
 

 珠光じゅこうがさ、

 「月も、雲間くもまから見え隠れするのが良いよ、月だけただってるのは嫌だな。」

 って言ってたんだけど、これ面白くね。

 『禅鳳雑談ぜんぽう ぞうたん
 

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