秦氏千年の計48 歌舞伎を創成した出雲阿国と遊女と念仏踊り

 歌舞伎かぶき創始そうししたとも云われる出雲阿国いずものおくには、

現在の島根県は出雲国杵築中村いずものくに きづきなかむら鍛冶方かじかたである、中村三右衛門なかむら さんえもんの娘とされます。
 

 慶長けいちょう5年(1600年)、阿国おくに出雲大社いずものおおやしろ巫女みことなり、戦国時代に荒れてしまった大社おおやしろ勧進かんじんのため諸国しょこく巡業じゅんぎょうした処、

 「クニなる者、ヤヤコはねおどり、大変な評判ひょうばんになる」と、

 安土・桃山あずち ももやま時代から江戸時代 前期にかけての公家くげ・歌人・医師であった、西洞院時慶にしのとういん ときよしの『時慶卿記ときよしきょうき』にあらわされています。
 

 同時代の武将・大名であった、松平忠明まつだいら ただあきらしるす『当代記とうだいき』によると、

3年後の、慶長けいちょう8年(1603年)4月には、それが「かぶきおどり」となり、京の都きょう  みやこにて人気をはくし、伏見城ふしみじょうへと度々参上たびたび さんじょうすると、

太閤たいこう 豊臣秀吉とよとみ ひでよし御前ごぜんにて披露ひろうすることもありました。
 

出雲阿国いずものおくに


阿國歌舞伎圖屏風おくに かぶきず びょうぶ』より。

 
 当初、四条河原しじょうがわらに建てたかり芝居小屋しばいごや興業こうぎょうしているのですが、やがて阿国おくには自分の一座をひき

京都市上京区きょうと かみぎょうく北野天満宮きたのてんまんぐう定舞台じょうぶたいかまえるように成ります。

 「伊達男だておとこふんした出雲阿国いずものおくにが、太刀たちかつぎ十字架と数珠を首から掛けたド派手な“かぶき者”の出立いでたちで、茶屋ちゃやいきな娘に恋愛感情をいだき追っかけ回す」

 なる演目で、一説いっせつに娘役は彼女の夫が演じていたとも云いますから、後の歌舞伎かぶきにもつうずるユニセックス振りでした。
 

 他の出演者も皆が異性装いせいそうで、当時の空也上人くうやしょうにんが始め、鎌倉時代に一遍上人いっぺんしょうにんにより広まった念仏踊ねんぶつおどり」と同じように、

最期は演者と観客が入り乱れ、熱狂の内に大団円を得ます。

 阿国おくにの演目が評判になると、彼女の一座を真似る者たちが現れ出しました。

 これらの出し物が総称され遊女ゆうじょ歌舞伎かぶきと呼ばれるように成り、歌舞伎かぶき舞踊ぶようが誕生したのです。
 

 阿国おくにの一座を真似する者たちにより、人気に衰えが見え出した出雲阿国いずものおくには、京の都きょう  みやこから出て諸国しょこくめぐって行くことにすると、

 遊女ゆうじょ歌舞伎かぶきは各地へと広がり、遊女屋ゆうじょやに取り入れられて行きました。

 慶長けいちょう12年(1607年)、江戸城で勧進かんじん歌舞伎かぶきを上演した後、彼女の消息はそこで途絶えてしまいます。

 慶長けいちょう17年(1612年)4月、御所ごしょ歌舞伎かぶきが演じられたことがありますが、出雲阿国いずものおくに一座による物だったかも知れません。
 

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