『天照大御神』より五世孫にあらせられる「初代皇尊」神武天皇の、
日向から大和の地へ宮を遷せられた『神武東征』のことを、
宮崎県では『神武東遷』と言います。
それは、都の在った場所こそが宮崎県の日向だったからで、そこから東へ遷都した意味を現しており、他にそのような言い方をする土地は有りません。
宮崎県の日向こそ、先に神武天皇が御座しました場所とする説「南九州説」と、
日向とは現在の福岡県各地に在る、日向の事だとする「北九州説」も有ります。
◆ 福岡県八女市日向神
◆ 福岡県朝倉市日向石
◆ 福岡県糸島市高祖 日向峠
などがそれです、しかし双方ともに「古事記(和銅5年(712年)」、
「日本書紀(養老4年(720年)」の記述に基づいた上で矛盾点が無い訳ではなく、
同時期に編纂された「日向国風土記(和銅6年(713年)」に有る、「西臼杵高千穂説」も加えると3種類の説が存在するのです。
かの江戸時代の国学者、本居宣長 先生も「いと まぎらはし」と場所を決めかねて居られました。
印は、宮崎県 日向市
九州を説明しているのなら
「西と南の界は大海」
「東と北には四国や本州の山が在る」
と内容が合致する
ともあれ、九州へ瓊瓊杵尊が御降臨あそばされたのに、間違いは御座いませんし、
『旧唐書』にも有るように、九州(倭国)を併合して、『古事記・日本書紀』に有る、神武東遷(神武東征)で、
九州より東の本州へ移動し、近畿「大和」へ遷都をなさり『日本』と名乗られた事に変わりは御座いません。
これで『旧唐書』に有る「西と南の界は大海」「東と北には四国や本州の山が在る」と日本人は言い、
四国・本州の存在を知ら無い大陸の人たちに疑われた、と言う訳なのです。
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