シャーロック・ホームズが、ダライ・ラマ14世を長とするチベット亡命政府【ガンデンポタン】へ召喚されてから、
どれほどの時が流れただろうか――――
いつもの如く暁も見ず起きい出し、世界中の人々が平和でありますようにと祈りを務めるラマ僧たちとともに、
ひとしきり経を唱えたホームズは、彼らと別れ広場へたわやかにい出、紫に明け染めし空のまぶしく昇り立つ太陽を正面にて迎えると、
その偉大なる天体よりこぼれた未だ薄蒼き祝福の一片を喜びに吸い込み、
その迸発がおさまるのを静かに待って永く吐き出してゆく。
かつてシャーロック・ホームズが、ライヘンバッハの滝をジェームズ・モリアーティの墓標とし、その追っ手との死闘の中、
ヒマラヤ山脈は真白の雪に逃れ、古都ラサのチベット協同体へ二年の間とどまり、チベタンと一日を過ごし、ダライ・ラマと親交を結んで、
友人や宿敵の目をあざむきながら名を偽り『シガーソンの探険記』を物にし、英気を大いに養った。
あの厳しくも寛大なる大自然の胎内へとこの身をゆだねられし体験は、未だ得難い静かなる興奮として心の奥底に存在し続けている。
それから幾年は過ぎ、チベットの置かれた状態は今やすっかり様変わりしてしまったのだ。
1951年、毛沢東ひきいる北京政府との不平等条約を受け入れたチベット国政府だったが。当然、中国共産党はことごとくこの条約を破っていく。
自治を保とうとするチベット政府に対し、
毛沢東 本人が「どんどん使いなさい」と、ダライ・ラマへ発言したはずのチベット国旗『雪山獅子旗《せつざんししき》』は、
中国軍がチベットに駐留して徐々に掲げる事を許されなくなってゆく。
チベット国旗『雪山獅子旗』
そればかりか、❝分離主義❞ としてチベット人たちは人民裁判に次々と掛けられ、
チベット仏教の高僧たちは順番に食事へ招かれるが、中国共産党本部から帰る者はおらず、
遂に、ダライ・ラマ14世が招待される事と相成った。
1959年3月、チベット国民はダライ・ラマを護るために決起し、同年ダライ・ラマ14世がインドへと脱出、数日後に他の国民も亡命する。
インドには彼らを受け入れるための難民キャンプが形成され、そこからさらに海外へ留学の形で、チベットの現状を訴える若者たちもいた。
チベットへ残ったチベタンが、収容所へ送られるようになったのも1959年からである。
チベット人だけでも、実に120万人が中国共産党の、計画的・組織的な大虐殺の犠牲者となったのだ。
ウイグル人・南モンゴル人・満州人までを入れるとその数は知れない……
インド政府はダラムシャーラーの一角にあった避暑地「マックロード・ガンジ」を提供して。1960年、チベット亡命政府は発足。
現在、十数万人のチベット人が難民となってチベット亡命政府を営んでいる。
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