帝が京より東京と名を改めて間もない江戸へ居をお替えあそばすと、
御調度を御納めしていたこちらの美術商も宮に従い、店を日本橋のこの地へと移したのである。
かつて金座の職人が行き交う土の道は日本銀行の職員が通うアスファルトへ変わり、
美術商が骨董を扱うようになっても日本橋の賑わいは変わらない。
人々が並ぶ赤信号を眺め、美術商の広いショーウィンドウのハロウィンに合わせた髑髏を模るジョッキは、
まだ陽も高いと言うのに大口を開いて嘲笑っているようだ。
文代は絡まる蔦をかき分け美術商へと入ってみた。
外から見るより広く感じられる店内の端から順に観覧して行くと、
艶々と鮮やかな白に群青の美しいペルシャ絨毯が、漆黒の猫足のテーブルの上へ敷いてあり、
その上に古い褐色の長持が正面を向けて置かれている。
大人でも入れるかと云う昔物の長持は、木目の決めも細かい一枚板の隅という隅に、
すっかり黒漆を塗った鉄板が武骨に張り出た鋲で留められていて、
巖乗そうな蝶交の掛け金が卸されるその姿は、堅牢そのものを現していた。
彼女は何となく、この誰かが隠れてでもいそうな長持の前で立ち止まり――――ふと伸ばした手がその金具に触れ、
蓋を開き久しぶりに樟脳の匂いを得ようとして…… しかしこの期待は裏切られた、代わりに薄暗い朱色が飛び込んで来る、
…… 怪訝な顔を近付けそれを良く見た文代には、これが朱の漆で無いことが判った。
安でのペンキが際も雑に、長持の内側全てに塗り着けてあって、
これなら、緋毛氈でも貼れば良かったろうに――――目立った傷の無い外側との差が、
長持の所有者と内側を朱に塗りた喰った者との違いを示しているのだ。
不審そうに蓋の内側を眺める文代の気持ちを汲んだのか、店主が声を掛けてきた。
「中さえ気にならなければインテリアとしても、家具としても良いのではないかと思います。蓋の方のペンキは禿げかけていますね。
こちらで何か仕事をさせて頂いても良かったのですが…… 現状を知って頂くために何もしていません。」
「持ち主はどんな方だったんですか? なぜ手放されたんでしょう。」
「さあー、ここへ売り込んで来られた訳ではありませんので……」
――――パリパリと禿げかけた蓋の内側のペンキを見ている文代の潜在意識が顕在意識に何かをコソコソ耳打ちしている――――
「この長持を頂けますか? それと…… 元の持ち主を調べて頂きたいのですが。」
店主は少しだけ考えるようだったが。
「分かりました、お調べして必ずお伝えします。ただ、限界が有ると思いますのでご了承くださいませ。」
文代は届けて貰うべく『明智 探偵事務所』の住所を書きながら――――彼女の右脳は見えぬ物を感じ、
左脳はその直感を方程式の何処へ代入すればこの謎が解けるのか、
キラキラと閃くシナプスの目まぐるしく働くその輝きが、すぐ側の店主にも視えたのではあるまいか。
外へ出ると軽く吹いたビル風は文代の髪を撫でて行く、
中央通りの信号は一斉に青へと変わり、まだ染めきらぬ夕焼け雲のたなびく空は、もう灯された車のライトの流れを数えだす、
長持が届くのを心待ちにして。
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