「あっ、」指先を切ってしまった……
ピンポン♪
また鳴った、お勢は納戸の灯りを消してしまって、
絆創膏を探しがてらインターフォンに映る画面を覗き込むと、
若い男の影が見える、
「…… 彼じゃないかしら?」
――――そう独り言ち、急いで絆創膏を貼りながら彼女は鏡に向かい髪を整えいそいそとインターフォンに出てみた。
そこに居たのはお勢が想っている男では無かった、
モジャモジャ頭の見憶えの無い男と若い女が突っ立っている。
「こんにちわ、いきなり失礼します。僕は明智 小五郎という探偵です。」
彼女は男の笑顔の影に、自分の恋人が慰労のため来てくれたのではないかと期待して、勘違いでそわそわしたのが馬鹿らしくなってしまって、
「何の御用でしょう。ただいま立て込んでおります。いらないので帰って下さい。」
「北村 勢子 様ですか? ちょっとだけ良いでしょうか、実はこれを見てもらいたいんです。」
そう言うと、明智は携帯端末で写真を見せた。
「まぁ……」
そこに写っていた物は、例の売ってしまった長持である。
「どうしてこれを…… どこに有るんですか?」
「やはり、貴方の長持なんですね。今ここに運んできてもらっているんですが、御覧になりますか。」
「…… え、えぇ、」
お勢は思わぬことに驚いたが探していた物である……
当然、応じてしまい作業員が長持をたちまち家の中へ運び込み、廊下の扉をあれよあれよと開けようと――――
「あ! あぁっ……」
――――小さな声がお勢の口から飛びだした、今開けようとした扉は先ほど格二郎を殴り倒し長持へ収めてしまった納戸だ!……
彼女の声が聴こえてか、反対側の格太郎の一周忌を済ませたばかりの線香の臭い漂うリビングへ、長持を運んでしまうと作業員が出て行くのと入れ替えに、
さっきの男女がそそくさと入ってきていかにも当然というニコニコ顔でリビングに居座ってしまった。
「いや、おかまいなく。わたしは私立探偵の明智 小五郎と言う者です、こちらは助手の文代さんです。」
「北村 勢子 様ですね。突然ご訪問させて頂きまして失礼いたしました。初めまして、
私共は『明智 探偵事務所』の明智 小五郎と玉村 文代です。よろしくお願いいたします。」
文代が機械的に名刺を渡し挨拶を交わすのも待ちきれず、
明智はさっそく長持の蓋を開けると、お勢に朱に染まった中を見せ、
「見て下さい。内側に朱色のペンキが塗ってあるんですが、蓋の裏だけペラペラに剥げていますね、他の箇所とは違います。
ほら他は剥げていません、蓋の裏のペンキだけが剥げているんです、北村さん見て下さい。」
「そうみたいですね……」
何のことやら解らぬお勢は生返事で応える。
「これはですね。蓋の裏だけ他とは違っているんです、それでこうなってる訳です。」
そう言いながら真っ白な手袋を両手にすると明智は、ペラペラに剥げかかる朱色のペンキを取り出したピンセットで丁寧に剥がしだす。
「なぜ蓋の裏のペンキだけが剥げているのかと言うと、油成分がペンキの付着を妨げているために起こっているんですね。
塗られたペンキの性質はもう調べて有るんですが……
このペンキは油脂に弱くそのため、蓋の裏には馴染まなかったんです。
では、どうして蓋の裏側だけに油成分が付着していたのか、それはこれから判明するでしょう。」
「文代さん! やっぱり面白いねー、これ!!」
モジャモジャの髪を揺らして朗らかに、お勢のことなど気にせぬ明智はそう言うと、これに合わせる文代も、
「明智先生のリクエストにお応えして、苦労の末に見付けてきたんですよ、」
「良く見付けてきてくれました、ありがとう文代さん。さて、何が出るかな?」
「何が出ると思いますか北村さん。」
「…… さぁあ……」
このやり取りにイラ立ちながら答えたのだが――――茜に光沢の有る整えた爪が折れているのに彼女は気付いた……
そうしている間にも少しずつ剥がされて行く朱色のペンキ、そこから徐々に見えてくる引っ掻いたような傷。
いったい、そこに現れる物とは何であろうか?……
「ほら、文代さん、やっぱり出てきた、」
「そうですね…… 先生、何で付いた傷でしょう……」
「これは――――? 直接…… 人の手で引っ掻いてるんじゃないかな?!」
「見て下さい北村さん、ほら。
そのため人間の手の油脂が蓋の裏にこびり着いたんです。
爪で掻いたために爪が折れたり、剥げたりしたんでしょう…… 血液の付着らしいものが有りますね。
血液反応とDNA検査をしてみましょうか、人物が特定出来るでしょう。
それとも北村さんがご存知かな?」
「先生これ、文字を書いているんじゃありませんか?」
「――――そうだよ文代さん! 流石、文代さん。これ『セ』だよ!」
「北村さん見て下さい、これ片仮名の『セ』に見えませんか?!」
――――これこそは、嗚呼この文字こそ……
北村 格太郎が長持に掛け金を掛けた罪人の正体を、
その生きながら柩へ幽閉し葬り去った犯人の名を、
死に逝きながら苦悶に刻んだ三文字の内が一つ!!
「ぁはぁぅぅ……」
お勢は声になるかならぬか狭間のような呻きを発する――――
――――彼女は一度は蓋の掛け金をはずした、お勢は格太郎を助けようとしたのだ……
長持の中の闇より解き放たれる喜びが、蓋を持ち上げる夫の弱々しくも生への執着の籠るその力が、
妻の手へと伝わったその刹那!
――――彼女はこの手でそれを押しつぶしてしまった…… 掛け金を掛けてしまった…… 夫を無間地獄の底へと無惨に突き堕としてしまった……
…… あの瞬間の確かな手応えが、今まざまざとお勢の両の手へ蘇る。
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