秦氏千年の計39 穴穂部皇子の最期
しかし感情が爆発する寸前なのは、そこに居る天皇すめらみことの臣下しんかたちの方で、務めを果たした三輪 逆みわの さかうとその二人の子を、咎人とがびととして処刑した守屋もりやへ、 今にも斬りかからんとするのを悟り、物部守 …
天照大御神《あまてらすおおみかみ》のこと。オオヒルメムチ。大日孁貴神。大日霊。大日女。天照日女之命。天照坐皇大御神
生きとし生けるもの、全てに対し差別なく平等に、光を注ぐ母なる太陽神であり、豊穣の神。農業神。幡織神。高天原《たかまがはら》の主宰神
日本国民の総氏神。神道(かんながらの道)における主神。
天皇家の祖先。皇祖皇宗
女神。聖母。母子神信仰
ギリシア神話に登場する女神、デーメーテール(デメテル)との共通点が多い。
タカマガハラで『女性社会』・『母系社会』を形成し、今も伊勢神宮は内宮【天照大御神】、外宮【豊受大御神《とようけのおおみかみ》(天女の羽衣伝説・日毎の糧を与えてくださる食物神)】共に、女神で構成されている。
【天照大御神】の直系子孫である『天皇』は、タカマガハラにおいて【天照大御神】が構築した『母系社会』の中に今なお内包される存在と言える。そのため他の『母系(女系)』を許さない。
【天照大御神】が女神である以上、【天照大御神】系こそが女系であり、他の女系は【天照大御神】系では無い。
しかし感情が爆発する寸前なのは、そこに居る天皇すめらみことの臣下しんかたちの方で、務めを果たした三輪 逆みわの さかうとその二人の子を、咎人とがびととして処刑した守屋もりやへ、 今にも斬りかからんとするのを悟り、物部守 …
この非常識な行為に、三輪 逆みわの さかうは兵衛つわもののとねりを招集し、殯宮もがりのみやの門を固く閉じて侵入を阻はばみますが、穴穂部皇子あなほべのみこは七度ななたびに渡り夜這よばいました。 けれども殯宮もがりのみや …
敏達びだつ14年(585年)3月、「廃仏派はいぶつは」の物部守屋もののべの もりやは、 「疫病やくびょうは仏教信仰のせい」として、大連おおむらじの権限を乱用し、 蘇我馬子そがの うまこが造営ぞうえいした仏舎ぶっしゃ …
聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。 これは、一度に1 …
聖徳太子しょうとくたいしと百済観音くだら かんのん(聖徳宗総本山 法隆寺) 法隆寺ほうりゅうじは、聖徳太子しょうとくたいしの御父君にあらせられる用明ようめい天皇の発願ほつがんによって、建立こんりゅうされました。 です …
およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武じんむ東征とうせい』、もしくは、 日向ひむかより大和やまとへ遷都せんとする『神武じんむ東遷とうせん』に際し活躍した「道臣命みちのおみのみこと」が最初となりましょ …
明治10年(1877年)1月11日、かつて薩摩と呼ばれた鹿児島に川路利良かわじ としよしの許可の元、鹿児島出身の中原尚雄なかはら なおおら警視庁職員24名が帰郷ききょうします。 西郷さいごうと共に下野げやした谷口登太 …
織はとり・服部はとりの衣服に関わる渡来系技能者とらいけいぎのうしゃの中に、服部はっとりを名乗り「謀術ぼうじゅつ」を用もちいる忍者が混ざっていて、日本に対し何らかの忍者活動を仕掛けていたのか、 それとも、徐福じょふくが …
住吉すみのえの 波豆麻公之はづまのきみが 馬乘衣うまのりごろも 雜豆﨟さいづらう 漢女乎座而あやめをすえて 縫衣叙ぬえるころもぞ 住吉すみのえの 波豆麻はづまの君きみが 馬乗衣うまのりごろも さひづらふ 漢女あやめを …
徐福じょふく 伊賀いがの歴史書『忍秘伝にんぴでん』に出てくる御色多由也おいろたゆやは徐福じょふく自身か、或いは彼と共に日本へ渡来した人物と云われる。 下野げやする西郷隆盛さいごう たかもりに付いて行く者も多かった …