秦氏千年の計43 縄文人にとっての「サナギ」
●次へ→ ←前ヘ■ 「常世物とこよもの この橘たちばなの いや照てりに わご大君おおきみは 今も見る如ごと」 大伴家持おおともの いえもち『萬葉州まんようしゅう』巻18ー4063 常世物とこよものは「橘た …
女性の神。⇔男神。
めがみ・おんながみ
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●次へ→ ←前ヘ■ 聖徳太子しょうとくたいしの側近である秦河勝はたの かわかつは、世阿弥ぜあみが記しるせし「 能のう 」の理論書『風姿花伝ふうしかでん』によると…… 欽明きんめい天皇の御代みよ、大和の国は奈良 …
●次へ→ ←前ヘ■ 推古すいこ天皇10年(602年)、百済くだらよりの法師ほうし 観勒かんろくが来朝らいちょうし、曆本れきほんおよび、天文地理てんもんちりの書、遁甲方術とんこうほうじゅつの書を朝廷へ献上し飛鳥寺 …
●次へ→ ←前ヘ■ 天武てんむ天皇は、兄の天智てんぢ天皇と同じ母親である斉明さいめい天皇(皇極こうぎょく天皇、2度御即位たびごそくいあそばす)から生まれた同母系兄弟です。 同じ母系の姉妹しまいや兄弟きょうだい …
●次へ→ ←前ヘ■ しかし感情が爆発する寸前なのは、そこに居る天皇すめらみことの臣下しんかたちの方で、務めを果たした三輪 逆みわの さかうとその二人の子を、咎人とがびととして処刑した守屋もりやへ、 今にも斬りか …
●次へ→ ←前ヘ■ この非常識な行為に、三輪 逆みわの さかうは兵衛つわもののとねりを招集し、殯宮もがりのみやの門を固く閉じて侵入を阻はばみますが、穴穂部皇子あなほべのみこは七度ななたびに渡り夜這よばいました。 …
●次へ→ ←前ヘ■ 敏達びだつ14年(585年)3月、「廃仏派はいぶつは」の物部守屋もののべの もりやは、 「疫病やくびょうは仏教信仰のせい」として、大連おおむらじの権限を乱用し、 蘇我馬子そがの うまこが …
●次へ→ ←前ヘ■ 聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見ら …
聖徳太子しょうとくたいしと百済観音くだら かんのん(聖徳宗総本山 法隆寺) 法隆寺ほうりゅうじは、聖徳太子しょうとくたいしの御父君にあらせられる用明ようめい天皇の発願ほつがんによって、建立こんりゅうされました。 です …
●次へ→ ←前ヘ■ およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武じんむ東征とうせい』、もしくは、 日向ひむかより大和やまとへ遷都せんとする『神武じんむ東遷とうせん』に際し活躍した「道臣命みちのおみ …