秦氏千年の計43 縄文人にとっての「サナギ」

 「常世物とこよもの この橘たちばなの いや照てりに わご大君おおきみは 今も見る如ごと」 大伴家持おおともの いえもち『萬葉州まんようしゅう』巻18ー4063    常世物とこよものは「橘たちばな」の古名こめいで、橘た …

秦氏千年の計42 弥勒菩薩とダビデ神社

 聖徳太子しょうとくたいしの側近である秦河勝はたの かわかつは、世阿弥ぜあみが記しるせし「 能のう 」の理論書『風姿花伝ふうしかでん』によると……  欽明きんめい天皇の御代みよ、大和の国は奈良の泊瀬はつせ(初瀬はつせ)の …

秦氏千年の計40 占いで知られる「算命学」は飛鳥時代に伝来していた

 天武てんむ天皇は、兄の天智てんぢ天皇と同じ母親である斉明さいめい天皇(皇極こうぎょく天皇、2度御即位たびごそくいあそばす)から生まれた同母系兄弟です。  同じ母系の姉妹しまいや兄弟きょうだいは、古いにしえよりの「エオト …

秦氏千年の計37 飛鳥時代の『廃仏運動』

 敏達びだつ14年(585年)3月、「廃仏派はいぶつは」の物部守屋もののべの もりやは、  「疫病やくびょうは仏教信仰のせい」として、大連おおむらじの権限を乱用し、  蘇我馬子そがの うまこが造営ぞうえいした仏舎ぶっしゃ …

秦氏千年の計36 荒れる『崇仏論争』

 聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。  これは、一度に1 …

秦氏千年の計35 道臣命 ファースト忍者

 およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武じんむ東征とうせい』、もしくは、  日向ひむかより大和やまとへ遷都せんとする『神武じんむ東遷とうせん』に際し活躍した「道臣命みちのおみのみこと」が最初となりましょ …