秦氏千年の計8 今年『庚子《かのえ・ね》』の年には何かが起こる
何時もお疲れさまです。 ツイッターをやらせて頂いておりますと、 「令和になって良いことがない」など、嘆なげいて居られる書き込みを、何度か目にした事が御座います。 実は、それもそのハズと申しましょうか…… …
秦丹照。秦国勝の子。
推古天皇の御代、皇太子にして摂政にあらせられる、聖徳太子に御仕えした渡来系の武人・芸能者・商人。
冠位:大仁・小徳
丁未の乱《ていびのらん》、用明天皇2年(587年)は、飛鳥時代の内乱で、「物部守屋の変」ともいう。
仏教を巡り大臣の蘇我馬子と、大連の物部守屋が戦い物部氏が敗れた。
その際は軍を率いて聖徳太子に従い、太子に命じられ仏像にする白膠木《ぬるで》の木を用意した。
皇極天皇3年(644年)、シャーマン大生部多の新興宗教「虫祭」常世教団を追討する。(日本書紀)
聖徳太子が河勝に、観る者の笑いを誘う「六十六番の物まね」を作らせ、紫宸殿で舞わせた物が「申楽(猿楽・後の『能・狂言』)」のはじまりと伝える。(「風姿花伝」第四)
観阿弥・世阿弥親子は河勝の子孫を称し。また金春流も河勝を初世とする。
秦河勝広隆は自らの子供たちに三方楽所《さんぽうがくそ》、宮中方(宮廷・京都)と南都方(興福寺・奈良)、天王寺方(四天王寺・大阪)で『雅楽《ががく》』をさせた。三方楽人《さんぼうがくにん》
秦姓四氏、東(東儀《とうぎ》)・薗・林・岡「大坂 四天王寺の四楽家」
秦河勝の名は、何年にも渡って見る事が出来るため、名を継ぐ者がいたと考えられる。
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『天照大御神あまてらすおほみかみ』より五世孫いつつぎのひこにあらせられる「初代皇尊すめらみこと」神武じんむ天皇の、 日向ひむかから大和やまとの地へ宮みやを遷うつせられた『神武東征じんむとうせい』のことを、 宮崎県では …
では、秦大津父はたのおおつちの云う、 『二頭のオオカミが血を流し争う』とは、何を意味しているのでしょうか? 第26代、継体けいたい天皇(在位507年ー531年)の御代みよ、朝鮮半島の日本領である南加羅ありひしの …
しかし、「○○の犬」と言うように、『犬いぬ』を悪い意味で使う場合も御座います。 それはなぜでしょう? 皆様は「万 里ばんり の 長城ちょうじょう」を、ご存知の事と思います。 チャイナの各王朝はおよそ三千年も前 …
『万葉集』巻八 「大口おおくちの、まかみの原に、ふる雪は、いたくなふりそ、家もあらなくに」 舎人娘子とねりのおとめ(飛鳥時代の女官・歌人) と歌にも有りますように、オオカミは『真神まかみ(まことの神・正しい神)』・ …
まず、秦大津父はたのおおつちはオオカミを『貴たっとい神』と言っていますが、 欽明きんめい天皇は、これを受け入れておられます。 日本で野生の犬を「オオカミ」と呼ぶのは、 野生の犬が『大いなる神』であると、認められ …
秦氏はたしが朝廷にお仕つかえしたのは、 聖徳太子しょうとくたいしが摂政せっしょうを務つとめておられた、第33代の推古すいこ天皇(在位593年ー628年)の御代みよが初めてではありません。 第29代、欽明きんめい …
聖徳太子しょうとくたいし(574年2月7日〜622年4月8日)は厩戸うまやどで産まれ『厩戸皇子うまやどのみこ』と呼ばれます。 世界ひろしと言えども、「厩戸うまやど」で産まれた人物はこの聖徳太子と、そしてイエス・キリス …
秦氏千年の計1 ザビエルより前に日本へ来ていたキリスト教 秦氏千年の計2 欽明天皇と秦大津父 秦氏千年の計3 世界中が『オオカミ信仰』を持っている 秦氏千年の計4 日本の『オオカミ信仰』 秦氏千年の計5 なぜ?「犬」には …
香港太子駅襲撃事件【831太子站事件】2019年8月31日 チャイナ・スピーカーの毎日新聞『ヘイトはメディアが捏造する』 ペンス副大統領による【対中政策演説】2018年10月4日 玉虫厨子たまむしのずし・関連資料 アマビ …