秦氏千年の計35 道臣命 ファースト忍者
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川路利良《かわじ としよし》は、
薩摩の下級藩士に生まれるも、『直心影流剣術《じきしんかげりゅう けんじゅつ》』を学び薩摩飛脚《さつまひきゃく》として島津斉彬《しまず なりあきら》の斥候《せっこう》を務める。
その後、『戊辰戦争』『上野戦争』に活躍し西郷隆盛《さいごう たかもり》に招かれ日本警察の設置に力を尽くし、西郷が下野するも明治政府に残り、間諜《かんちょう》の術を用いて『西南戦争』の切っ掛けを作ると警視隊《けいしたい》を率い、西郷軍を相手に各地で激戦を戦った。
現在の警視総監《けいしそうかん》に当たる初代『大警視《だいけいし》』である。
「大義《たいぎ》の前に私情《しじょう》を捨て、あまねく警察に献身《けんしん》する。」との言葉通り、
暑い夏にも常に制服を着込み脱ぐことは無く、自身の勤務を終えると、各 警察署・交番を廻り睡眠は毎日4時間であったと云う。
これは、当時の邏卒《らそつ》(巡査)の全員が屯所《とんしょ》に詰め勤務時間外にも制服着用、酒を呑むことも正月など年5回のみと厳しいものだったので、
大警視《だいけいし》である自ら範《はん》を示したのであろう。
川治利良は床に入る時、枕元に紙と筆を置いて何か思い着くと夜中にもローソクを灯し必ず書き留めた。
「夜の考えは誠に良い」と語り、書き付けた物が後の『警察手眼《けいさつしゅがん》』となる。
「(聲)声無きに聴き 形無きに視る」が有名。
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