秦氏千年の計51 徹底弾圧される歌舞伎「天保の改革」贅沢禁止令と文化弾圧

 「生類憐しょうるい あわれみの令れい」で知られる5代将軍 綱吉つなよしの元禄げんろく時代は、江戸時代で一番の好景気こうけいきで、 あの「主君しゅくんの仇あだを討うつために頑張っていた」とされている、 「忠臣蔵ちゅうしん …

秦氏千年の計50『歌舞伎 vs 吉原遊廓』江戸時代の女性が髷を結いだした訳

 「遊廓ゆうかく」が徳川幕府より正式に認可にんかを得ると、歌舞伎かぶきにとって大きなライバルと成りました。  何せやってる人もやってる事も、基本的には同じですから、しかも行き着く処も結局は同じでそれ以上は無いのです。   …

秦氏千年の計49 宗教者・芸能者・遊女としての歩き巫女

 出雲阿国いずものおくにたちのような職業を「歩あるき巫女みこ」と言い、阿国おくには当初、出雲大社いずものおおやしろに属していましたが、そのほとんどの「歩あるき巫女みこ」が神社などに所属しょぞくせず、 お祓はらいや、霊を自 …

秦氏千年の計48 歌舞伎を創成した出雲阿国と遊女と念仏踊り

 歌舞伎かぶきを創始そうししたとも云われる出雲阿国いずものおくには、 現在の島根県は出雲国杵築中村いずものくに きづきなかむらの鍛冶方かじかたである、中村三右衛門なかむら さんえもんの娘とされます。    慶長けいちょう …

秦氏千年の計47 天智天皇の最期と弘文天皇の誕生

 蘇我安麻呂そがの やすまろは、蘇我馬子そがの うまこの曾孫ひまごに当たる人物で、大海人皇子おおあまのみこ(後の天武てんむ天皇)を病床びょうしょうの天智てんぢ天皇の元へ呼ぶ、使者ししゃの役を仰おおせつかりました。  安麻 …

秦氏千年の計46 朝廷の中で生き延びた蘇我一族

 中大兄皇子なかのおおえのみこ(後の天智てんぢ天皇)と中臣鎌足なかとみの かまたりは国政改革こくせいかいかく「大化たいかの改新かいしん」を行い、  遣唐使けんとうしが持ち帰る情報を元に、儒学じゅがく思想を積極的に取り入れ …

秦氏千年の計45 山背大兄王の非業と中大兄皇子の野望

 秋あきの田たの かりほおの庵いおの 苫とまをあらみ わが衣手ころもでは 露つゆにぬれつつ 天智てんぢ天皇 『後撰和歌集ごせんわかしゅう』秋中ー302  秋の田んぼの仮小屋かりごやの庵いおりで、例大祭れいたいさいに必要な …

秦氏千年の計44 額田王を巡る天智天皇と天武天皇、そして持統天皇

 あかねさす 紫野むらさきの行ゆき 標野しめの行ゆき 野守のもりは見みずや 君が袖きみ  そで振ふる 額田王ぬかたの おおきみ 『萬葉集まんようしゅう』第38葉(巻1ー20)  茜色あかねいろの日が射ひ さす、染料や薬用 …