秦氏千年の計47 天智天皇の最期と弘文天皇の誕生
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母親の系統による家族、その血縁集団の組織社会。
娘は子を生んだ瞬間から母となり新たな母系を形成する。
アマテラスはイザナミの子であるが、イザナミの『黄泉母系』とは別の母系『高天原母系』を形成している。
息子は何代を重ねようと同母系から外れない。
天皇はアマテラスの『高天原母系』。スサノオはイザナミの『黄泉母系』。
子は母から生まれるため間違いなく母の子であり、母系のみが絶対である。
子を生まぬ父は、その子が父の子であるか不確定であり、父系は絶対とは言えず相対である。
信仰として絶対である必要性から、古代に置いて母系のみが信仰たり得た。母が子を生む神聖性。聖母信仰。母子神信仰
アマテラス・ツクヨミ・スサノオが、イザナギの禊《みそぎ》で生まれたのは、イザナギが御柱の父である事を示すため。
スサノオがすぐ母のイザナミのもとへゆこうとしたのは、スサノオがイザナミの母系の内に有るため。
天皇はスサノオ系とも言えるはずなのにそう言わないのは、子が父の子であるか絶対ではないから。
天皇はアマテラスの母系の内に有り、これは絶対である。
男性至上主義の「儒学《じゅがく》」伝来以前の日本では『母系』が重要で有り、父親が同じでも母親が違えば、同母系では無いため結婚も出来た。
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