秦氏千年の計31『わび茶』の完成と『茶の湯』の終焉
●次へ→ ←前ヘ■ 唐物からものの流行は、室町むろまち幕府 第3代将軍 足利義満あしかが よしみつが日明貿易にちみんぼうえきで得た豊富な資金で珍しい唐物からものを購入し、 北山の金閣寺きんかくじに明みん(13 …
朱子学は儒学から出た考え方で、社会を上下関係で考えるなど、現代では非常に『差別的』な思想である。
江戸時代、積極的に儒学・朱子学を導入したのは、初代将軍 家康に見いだされた林 羅山《はやし らざん》、
6代・7代将軍に仕えた新井白石《あらい はくせき》で、
贅沢禁止や、商業を「卑しい」とする儒学・朱子学の考え方は、江戸時代の『長期デフレ・少子化』を招き、
現実性の無い、観念に終始する頭でっかちな、『机上の空論』を露呈することとなった。
●次へ→ ←前ヘ■ 唐物からものの流行は、室町むろまち幕府 第3代将軍 足利義満あしかが よしみつが日明貿易にちみんぼうえきで得た豊富な資金で珍しい唐物からものを購入し、 北山の金閣寺きんかくじに明みん(13 …
●次へ→ ←前ヘ■ 戦国時代に、天下布武てんかふぶを以もって既存概念きそんがいねんを打ぶち壊こわし、文化による新秩序しんちつじょを確立しようとする魔王まおうが日本に出現しました。 それが、仏教界から第六天魔王 …
●次へ→ ←前ヘ■ その、義政よしまさの茶の指南しなんを務めたともされる、村田珠光むらた じゅこうは奈良の人で、浄土宗じょうどしゅう 称名寺しょうみょうじに出家しゅっけして、 京きょうの都みやこで、臨済宗りん …
●次へ→ ←前ヘ■ 新儒学じゅがく『朱子学しゅしがく』は徳川幕府にとって、戦国時代・安土桃山あづちももやま時代までの旧秩序きゅう ちつじょを、 徳川時代の新秩序しん ちつじょで塗り替えてしまうための、無くてはな …
千 利休せんの りきゅう 像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛) 戦国時代から安土桃山時代の大坂 堺おおざか さかいの商人、茶人。 古田織部ふるた おりべ 像(元禄年間『茶之湯六宗匠伝記』を着色。 戦国時代 …
●次へ→ ←前ヘ■ 天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような …
●次へ→ ←前ヘ■ 女性の権力は徳川幕府の朱子学しゅしがく政策の中で低下しますが、 戦国の代よにあって絶大な影響力を有ゆうする女性たちが居ましたし、その女性たちと関係が深いとの周辺へのアピールは、 戦国武将にと …
『絹本着色けんぽんちゃくしょく高台院こうだいいん像』 後年の寧ねい(ねね)は出家して高台院こうだいいんとなった。 高台寺こうだいじ 所蔵 名古屋市博物館 収蔵 北政所きたのまんどころ(寧ねい)が有馬 …
●次へ→ ←前ヘ■ 新しい徳川の代よの価値観かちかんを構築し、戦国時代・安土桃山あづちももやま時代までの旧きゅう 価値観かちかんを壊滅かいめつすべく、徳川家康とくがわ いえやすは次に、 「方広寺ほうこうじ鐘銘 …
●次へ→ ←前ヘ■ 徳川幕府が滅んだのは、度重なる飢饉ききんから農業国としてはすでに破綻はたんしているのに、不安定な米本位制こめほんいせいを辞められず、 違法な形で行こなわれ続ける金融取引の武家無尽ぶけ むじん …