秦氏千年の計27 宗教を政争の具にする人々

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような事が起きたのか、様々な憶測お …

秦氏千年の計26 戦国武将からの手紙

 女性の権力は徳川幕府の朱子学しゅしがく政策の中で低下しますが、 戦国の代よにあって絶大な影響力を有ゆうする女性たちが居ましたし、その女性たちと関係が深いとの周辺へのアピールは、 戦国武将にとって重要な政治戦略上の鍵でし …

秦氏千年の計24 徳川の儒学者活用法

 徳川幕府が滅んだのは、度重なる飢饉ききんから農業国としてはすでに破綻はたんしているのに、不安定な米本位制こめほんいせいを辞められず、 違法な形で行こなわれ続ける金融取引の武家無尽ぶけ むじんや、役人と商業者の癒着ゆちゃ …

秦氏千年の計22 腐敗した「徳川幕府」

 大坂東町奉行おおざか ひがしまちぶぎょうだった跡部良弼あとべ よしすけには、これとは真逆の、  天保てんぽう7年(西暦1836年)11月29日に江戸町奉行の命令で大坂に米を買い付けに来た江戸商人に対し、協力拒否の姿勢を …

秦氏千年の計20『狂狷』と『陽明学』

 孔子こうしと云うのは、面白みの全く感じられない至極凡庸しごく ぼんような男です。  その孔子こうしが書いたのだから、『儒学じゅがく』など大したモノでは無いのですが、見るべきところも多少は有るでしょう。  それが、『狂狷 …