秦氏千年の計27 宗教を政争の具にする人々
天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような事が起きたのか、様々な憶測お …
時宗の捨聖、徳阿弥こと『世良田親氏』が、賀茂神社の御神領地、三河国加茂郡松平郷の領主の『松平信重』の娘婿となり、世良田氏を松平氏へ改め、そこから徳川氏を興したとされる。
天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような事が起きたのか、様々な憶測お …
女性の権力は徳川幕府の朱子学しゅしがく政策の中で低下しますが、 戦国の代よにあって絶大な影響力を有ゆうする女性たちが居ましたし、その女性たちと関係が深いとの周辺へのアピールは、 戦国武将にとって重要な政治戦略上の鍵でし …
『絹本着色けんぽんちゃくしょく高台院こうだいいん像』 後年の寧ねい(ねね)は出家して高台院こうだいいんとなった。 高台寺こうだいじ 所蔵 名古屋市博物館 収蔵 北政所きたのまんどころ(寧ねい)が有馬 …
新しい徳川の代よの価値観かちかんを構築し、戦国時代・安土桃山あづちももやま時代までの旧きゅう 価値観かちかんを壊滅かいめつすべく、徳川家康とくがわ いえやすは次に、 「方広寺ほうこうじ鐘銘しょうめい事件」へ林 羅山は …
徳川幕府が滅んだのは、度重なる飢饉ききんから農業国としてはすでに破綻はたんしているのに、不安定な米本位制こめほんいせいを辞められず、 違法な形で行こなわれ続ける金融取引の武家無尽ぶけ むじんや、役人と商業者の癒着ゆちゃ …
これまでも「尊号一件そんごういっけん」など、 徳川時代よりも以前の伝統でんとうと古例これいを遵守じゅんしゅしようとする光格こうかく天皇と、 新儒学じゅがく『朱子学しゅしがく』の理屈りくつを正当とする徳川幕府の老中ろ …
大坂東町奉行おおざか ひがしまちぶぎょうだった跡部良弼あとべ よしすけには、これとは真逆の、 天保てんぽう7年(西暦1836年)11月29日に江戸町奉行の命令で大坂に米を買い付けに来た江戸商人に対し、協力拒否の姿勢を …
「もはやこれまで」 大塩平八郎おおしお へいはちろうは朝廷への忠信ちゅうしんと、幕府に対する武装蜂起ぶそうほうきを呼びかける『檄文げきぶん』を塾の門弟もんていや近郷きんごうの農民に、金一朱きんいっしゅと引き替えられる …
孔子こうしと云うのは、面白みの全く感じられない至極凡庸しごく ぼんような男です。 その孔子こうしが書いたのだから、『儒学じゅがく』など大したモノでは無いのですが、見るべきところも多少は有るでしょう。 それが、『狂狷 …
標題句解孔子家語ひょうだいくかい こうしけご 2/60 54/60 資料抜擢 徳川家康の命により 足利学校あしかが がっこう 第九代庠主しょうしゅ 三要元佶さんよう げんきつ(1548-1612)が京都伏見きょうと …