秦氏千年の計43 縄文人にとっての「サナギ」
「常世物とこよもの この橘たちばなの いや照てりに わご大君おおきみは 今も見る如ごと」 大伴家持おおともの いえもち『萬葉州まんようしゅう』巻18ー4063 常世物とこよものは「橘たちばな」の古名こめいで、橘た …
縄文時代《じょうもん じだい》
新石器時代。約1万6000年前から約3000年前まで、当時の温暖な気候(気候変動は自然現象)のもと、北は北海道から南は沖縄にかけて住む日本の先住民『縄文人』により、世界最古級の土器を作り、狩猟採集だけで無く、栗《くり》などの植物を積極的に植える農業を営み、収穫高を上げるための品種改良を行い村を形成し一つの場所に定着した。
そのため考古学的な物質文化の痕跡が多数出土し、『縄文』の呼称の元となる縄文文様の土器や火焔《かえん》土器・土偶《どぐう》など、独自の形式・芸術文化を保持した事が確認されている。
縄文時代。縄文土器。縄文式。縄文語
戦争の概念が無く、殺人事件は有ったものの日用品によってであり、人殺しの道具「兵器・武器」とは無縁の時代で、鉄器など金属器も持たなかった。そのため様々な人々を受け入れ、縄文文化は終わってゆく。
北海道では、弥生時代の紀元前3世紀頃から、古墳時代の紀元7世紀に出雲の人々が転場して土師《はじ》器を持ち込むまで、ほぼ連続して縄文文化が営まれていた。これを続縄文時代《ぞくじょうもんじだい》と呼ぶ。
和銅《わどう》5年(712年)に書かれた古事記《こじき》は縄文語で書かれて居り、当時の日本における常用語は縄文語であった。
8年後の養老《ようろう》4年(720年)に書かれる日本書紀《にほんしょき》は朝鮮語など、当時の外国語の影響が強い。
金属器を持たない縄文人が日本の明らかな先住民であり、蕨手刀《わらびてとう》など金属器を有する東北の『アテルイ』や、やはり金属器を持つ北海道の『アイヌ』を日本の先住民とするのは、間違いである。
「常世物とこよもの この橘たちばなの いや照てりに わご大君おおきみは 今も見る如ごと」 大伴家持おおともの いえもち『萬葉州まんようしゅう』巻18ー4063 常世物とこよものは「橘たちばな」の古名こめいで、橘た …