秦氏千年の計43 縄文人にとっての「サナギ」

 「常世物とこよもの この橘たちばなの いや照てりに わご大君おおきみは 今も見る如ごと」 大伴家持おおともの いえもち『萬葉州まんようしゅう』巻18ー4063    常世物とこよものは「橘たちばな」の古名こめいで、橘た …

秦氏千年の計42 弥勒菩薩とダビデ神社

 聖徳太子しょうとくたいしの側近である秦河勝はたの かわかつは、世阿弥ぜあみが記しるせし「 能のう 」の理論書『風姿花伝ふうしかでん』によると……  欽明きんめい天皇の御代みよ、大和の国は奈良の泊瀬はつせ(初瀬はつせ)の …

秦氏千年の計40 占いで知られる「算命学」は飛鳥時代に伝来していた

 天武てんむ天皇は、兄の天智てんぢ天皇と同じ母親である斉明さいめい天皇(皇極こうぎょく天皇、2度御即位たびごそくいあそばす)から生まれた同母系兄弟です。  同じ母系の姉妹しまいや兄弟きょうだいは、古いにしえよりの「エオト …

秦氏千年の計31『わび茶』の完成と『茶の湯』の終焉

 唐物からものの流行は、室町むろまち幕府 第3代将軍 足利義満あしかが よしみつが日明貿易にちみんぼうえきで得た豊富な資金で珍しい唐物からものを購入し、  北山の金閣寺きんかくじに明みん(1368年ー1644年)よりの客 …

秦氏千年の計27 宗教を政争の具にする人々

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような事が起きたのか、様々な憶測お …