『東京シティエアターミナル』も近い『水天宮通り』の水天宮を右に観ながら『人形町』が在る交差点を『茅場町』方面へ行けば、
文豪 谷崎潤一郎も神楽を楽しんだ銀杏八幡宮の前を通り過ぎ『鎧橋』を渡ると、
『東京証券取引所』と道を挟んだ真向かいの橋詰に御座すお地蔵様に手を合わせた。
『茅場町・兜町』は証券街で株式市場の開く平日ともなれば、地下鉄メトロ茅場町駅の乗降客も相まって先を急ぐ証券マンとすれ違わぬことなど無い平成通りには、
ここ一帯の鎮守様『日本橋 日枝神社』の、ビルに囲まれた参道が左に見えて来る。
再開発も著しいこの界隈の、
大正12年(西暦1923年)9月1日、関東大震災に襲われ、設けられし『永代通り』は皇居大手門へ通ずる主要道路となった。
その交差点を右折し『東京駅』方面へと文代は歩いて行く――――
かつて『楓川』だった名残りの暗渠に架かる『千代田橋』を越え『首都高1号線』を潜れば『昭和通り』との交差点は近い、
左へ行けば京橋だが文代はふと思い立ち……
『永代通り』を真っ直ぐ行くことにした。
程なく地下鉄メトロ『日本橋駅』とも通ずる『COREDO 日本橋』は右へ構えていて、
彼女は何時ものようにその中へ入って行くと、
日枝神社の御祭礼、神田祭と共に天下祭が一つ『山王祭』の御神輿が展示された店内に、食欲そそる香ばしい匂いが昇ってくる、地下のパン屋だ!
しかし今日はそれを放っておいて『永代通り』と『中央通り』の交わる日本橋交差点へと出た。
左は『高島屋』『丸善』、その先が京橋そして銀座が在り、右を見ると寝具の『日本橋 西川』の大弾幕が風にふわり靡いたその先は、
眩しく陽の当たる『首都高速C1都心環状線』に上げられた『日本橋』の文字に誘われて、
「お江戸 日本橋を渡ってみよう。」
平成11年(西暦1999年)国の重要文化財に指定された『日本橋』の古い石畳を渡りきり、
文代が『日本橋室町』へ入ると、関東大震災で築地に移転するまで、百万人都市江戸の食を支えた『日本橋魚河岸』の、
鰹節の『にんべん』や、海苔の『山本海苔店』など、老舗が今も軒を連ね当時の活気を伝える。
『COREDO 室町』は『福徳の森』へと人々を導き、
清和天皇の御代すでに御鎮座ましましていたと伝えられる朱の鳥居の『福徳神社』が、幾度の火災からここに復活したのだ。
提灯の下がる『新浮世小路』を『中央通り』へ出て、文代が信号待ちをしていると、
向かいの『COREDO 室町テラス』は2階に台湾の『誠品生活』日本一号店が開店している。
その角のビルの棟に掲げられた、東洲斎 写楽 作『市川鰕蔵の竹村定之進』の堂々たる大首絵が、
一階の美術商の店名を現していた。
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