ダライ・ラマ14世とチベット政府、チベット人たちは1959年3月、中国共産党によってチベットのラサを追われ、チベットを独立国家と承認していたインド政府は、ダラムシャーラーの一角の避暑地『マックロード・ガンジー』を彼らへ提供し、チベット亡命政府は1960年この地に発足する。
ダラムシャーラーを選んだ理由は、チベタンの故郷チベット高原より望むヒマラヤ山脈が観えるからだと云う。
ダラムシャーラーに近いカングラ谷間は、『西遊記』で有名な三蔵法師の一人玄奘三蔵の旅行記によると、その後のバラモン教の隆盛に廃れるまで、50の仏教寺院と2千人もの僧侶が修行していた。19世紀にチベット人による僧院の建立がはじまり、今もヒンドゥー教と仏教が盛んな土地である。
マクロード・ガンジーには現在、6千人以上のチベット難民が居住し、ダライ・ラマの法主公邸をはじめ、亡命政府のカシャク(内閣)や議会が置かれる。また、チベット亡命政府の各種官庁はカンチェン・キション(雪有る幸福の谷)に築かれた。
マクロード・ガンジー
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