1.家康と山王信仰
かつて、江戸城内で時の将軍上覧の『天下祭』は二つである。
一つは神田明神(神田神社)の祭礼神田祭。
そしてもう一つが、歌川広重も『名所江戸百景 糀町一丁目山王祭ねり込』に描く、日枝神社の祭礼山王祭であった。
山王祭は、神田祭と共に、徳川幕府が資金を援助した『御用祭』が一つでもあるのだ。
江戸城より鬼門(北東)の方位に御鎮座される神田明神(神田神社)は、天門(北西)の方位へ御鎮座される筑土神社と、
同じ神、平将門を、江戸城から見て直角に交わるよう配置し。
赤坂 日枝神社『裏参道 山王大鳥居』2
赤坂 日枝神社 令和元年12月31日(2019年)
そして、千代田区永田町の旧官幣大社 赤坂 日枝神社が、人門(南西・裏鬼門)の方位に位置すれば、
やはりこれと直角になるよう、摂社で御旅所(神の休憩所・宿泊所)の、中央区日本橋茅場町 日本橋 日枝神社は、
江戸城から見ると風門(南東)の方位に、御鎮座ましましている。
詰まり、平将門と、日枝神社に祀られる日枝大神を用い、江戸城の鬼門封じをしているのだが、
関東を開いた平将門は理解できる。
しかし源頼朝が、鎌倉で幕府を開き武家の棟梁として源氏長者になると、石清水八幡宮より鶴岡八幡宮を勧請して以来、
侍が崇敬する神は八幡神である。
頼朝と同じく、武家の棟梁にして源氏長者となった徳川将軍家が、何故『日枝大神』を、重要視するのであろうか?
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【大山咋神】「山王信仰を利用するは我にあり!」霊的支配と徳川一族の野望!!【日枝神社】(弐の巻)
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