秦氏千年の計47 天智天皇の最期と弘文天皇の誕生
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我が国と日本国民、世界平和と人々の幸せを祈念し言祝《ことほ》がれる存在。
日本国民の総氏神《そううじがみ》にあらせらるる【天照大御神《あまてらすおおみかみ》】をお祀《まつ》りし、毎年の元日に天地四方の神祇《じんぎ》を拝され年災消滅《ねんさいしょうめつ》・五穀豊穣《ごこくほうじょう》を祈られる「四方拝《しほうはい》」や、11月23日に天神地祇《てんじんちぎ》すべての神々の恵みに感謝し五穀の新穀《しんこく》をお供えし自ら食される「新嘗祭《にいなめさい》」など、
国家と国民の安寧を祈願する祭祀《さいし》の大祭司《だいさいし》にして、かんながら(神道)における最高神官。
『北極星』のこと。北斗七星。妙見《みょうけん》。北辰《ほくしん》。天皇大帝《てんのうたいてい・てんのうだいてい・てんおうだいてい》
大王《おおきみ》。皇《すめらぎ・すめらき》。皇尊《すめらみこと》。天朝《すめらみこと》。天子《てんし》。帝《みかど》。御上《おかみ》。陛下《へいか》。宮《みや》
奉られる場合の社号『神宮《じんぐう》』。
「天皇」と言えば今上天皇のこと。「○○天皇」と言えば歴代天皇のこと。
天皇は【天照大御神】の直系子孫であり、タカマガハラにおいて【天照大御神】が構築した『母系社会』の中に今なお内包される存在と言える。そのため他の『母系(女系)』を許さない。
【天照大御神】が女神である以上、天皇はすでに女系である。他の女系は【天照大御神】系では無く天皇では無い。
【天照大御神】を母神『聖母』とする『母子神信仰』の子供神『御子《みこ》・神子《みこ》・皇子《みこ》』に当たる。
【天照大御神】(聖母)系であっても、母親となりその子が天皇(御子)に即位すると、その母親は【天照大御神】(聖母)に取っ手替わってしまうことになる。これを防ぐため、男系のみ天皇とすることを護り続けている。
これまでに女性天皇は存在した。しかし御結婚なさってはイケなかったり。夫が天皇で息子を天皇に即位させるための繋ぎだったりと、制限が掛かる。
天皇の娘『皇女《こうじょ・ひめみこ》』は、倭姫命《やまとひめのみこと》が【天照大御神】をお祀りする場所を探して廻られ伊勢の地に納まった。
詰まり現在の『伊勢神宮』であるが、それ以来、未婚の歴代皇女が天皇の御名代として伊勢神宮にお仕えする『斎王《さいおう》・斎皇女《いつきのみこ》・斎宮《いはいのみや》』や、神功皇后《じんぐうこうごう》が斎宮を建て【天照大御神】をお祀りし、自ら神主になられた。
このように、御皇族ゆかりの女性は聖なる存在として神宮にお入りに成られる。
現代において『斎王』はなくなっているが、葵祭《あおいまつり》で『斎王代《さいおうだい》』が一般女性から選ばれ身を清められる。そして、現在の伊勢神宮 祭主(伊勢神宮にのみ置かれる神職)は先の天皇の御皇女だった方が勤められている。
天皇の在り方は「如何《いか》に聖母【天照大御神】を蔑《ないがし》ろにしないか」で構築されている。
天照大御神 → アメノヲシホミミノミコト(天照の息子) → アマツヒコヒコホノニニギノミコト(天孫降臨・天照の息子の息子) → ヒコホホデミノミコト(山幸彦・天照の息子の息子の息子) → アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアヱズノミコト(天照の息子の息子の息子の息子) → カムヤマトイワレビコノスメラミコト(初代 神武天皇・天照の息子の息子の息子の息子の息子) → 今上天皇
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天智てんぢ天皇と、その皇女こうじょにあらせられた持統じとう天皇 小倉おぐら 百人一首ひゃくにんいっしゅ001 天智てんぢ天皇。 秋あきの田たの かりほおの庵いおの 苫とまをあらみ わが衣手ころもでは 露つゆにぬれつつ …
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