【大山咋神】「山王信仰を利用するは我にあり!」霊的支配と徳川一族の野望!!【日枝神社】(弐の巻)

2.賀茂かもの神と大山咋神おおやまくいのかみ

 日枝大神ひえおおかみとは、大山咋神おおやまくいのかみのことである。

賀茂御祖神社かもみおやじんじゃ下鴨神社しもがもじんじゃ)にまつられる神が、神産巣日神かみむすびのかみの孫にあらせらるる賀茂建角身命かもたけつぬみのみことであり、

神武東征じんむとうせい日向ひむかより大和へ都を遷せられし神武東遷じんむとうせん)のおり、御活躍した金鵄八咫烏きんしやたがらす御座おわします。
 

 その娘神建玉依比賣命たけたまよりひめのみことの娘婿が、大山咋神おおやまくいのかみであった。

くい』は『くい』と同じ意味で、現在も土地所有を示す。詰まり大山咋神とは、大山おおやまくいを打った地主神じぬしがみのことである。

 また、「くいに宿る神・矢を神格化しんかくかした神」とも考えられ。『山末之大主神やますゑのおほぬしのかみ』。矢へ変じた『鳴鏑神なりかぶらのかみ』の別名をも持ち、崇敬すうけいを集めた。
 

赤坂 日枝神社『神門』1


赤坂 日枝神社 令和元年12月31日(2019年)

 
 新たなみやこ平安京へいあんきょう』を、渡来系とらいけい氏族である秦忌寸都理はたのいみきとりは、おのが領地の山城の国へ誘致すると、

 大山咋神おおやまくいのかみ松尾大社まつのおたいしゃへお祀りし。

 これと合わせた、賀茂別雷神社かもわけいかつちじんじゃ上賀茂神社かみがもじんじゃ)と、賀茂御祖神社かもみおやじんじゃの三神社は、平安遷都へいあんせんと後の、平安京鎮護社ちんごしゃとなれり。
 

 共に葵紋あおいもんを有され、武家の台頭や応仁おうにんの乱で二百年もの間、途絶えていた葵祭あおいまつり賀茂祭)を、

元禄7年(西暦1694年)、突如として再開させるのは徳川将軍家とくがわしょうぐんけであった。

 今も松尾祭と共にこの二つの祭事は、京の街の人々によって営まれている。
 

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