3.徳川が名実ともに支配者となるその秘策とは?!
徳川将軍家が家紋『丸に三つ葉葵』は、
賀茂神社の氏子となった松平親氏が、賀茂神社の御神紋にあらせらる葵紋を、
松平氏・徳川氏の家紋《かもん》としたためと伝えられている。
踊念仏の遊行上人、一遍上人が興した、時宗の捨聖へと身を窶し、
永享の乱に敗れた、長阿弥こと清和源氏が末裔、世良田有親は、
流浪の果てに、子の徳阿弥こと世良田親氏共々、ここ賀茂神社が御神領地にあらせられる、三河国加茂郡松平郷へと辿り着く。
領主で藤原氏の松平信重が、徳阿弥の武勇と和歌に魅了され、我が娘の婿と望んだのは言うまでもないことであった。
還俗した親氏は、世良田氏を松平氏へと改め。
ここに、松平太郎左衛門親氏が誕生したのだ。彼こそが、松平氏・徳川氏の始祖とされる。
赤坂 日枝神社『表参道 男坂』銀杏落ち葉舞う
赤坂 日枝神社 令和元年12月31日(2019年)
これは、松平信重の娘婿になった親氏を、賀茂建角身命の娘婿になった大山咋神に、
徳川家康か、家康を東照大権現として奉った天海大僧正。もしくは親氏自身が擬えた物ではないだろうか?
徳川将軍家の産土神が、日枝大神・大山咋神なのも、家紋が葵紋なのも、
全ては、神武東征に御活躍された金鵄八咫烏こと賀茂建角身命の娘婿に、徳川始祖『親氏』を置き換えることで、徳川将軍家の正当性と成し、
「虎の威を借る狐」ならぬ、
天皇家の御威徳を借る狸となり、人心を霊的にも掌握した結果。
260年もの永きに渡る、長期支配を完成させたのであった。
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【大山咋神】「山王信仰を利用するは我にあり!」霊的支配と徳川一族の野望!!【日枝神社】(弐の巻)