何故、このように何度も何度も、徳川幕府が歌舞伎を弾圧して来たのかは不明な処ですが、
封建制度に置ける、権力者にとってその影響力は十分に注意を要する物で有り、それ程までに人気を博した歌舞伎を弾圧せざるを得なかったのでしょう。
関東を開いた平 将門による「平 将門の乱」の際に、平 将門調伏祈願のための護摩を焚いた場所に、
不動明王を安置し寺院を建立した物が「成田山」でした。
この成田山は当時の本堂 薬師堂へ一心に子授け祈願をしたのがこの初代 團十郎です。
すると目出度く、玉のような男の子を授かり、お不動様のこの御利益に『兵根元曽我』を父子で演じ、
不動明王を歌舞伎に初めて登場させた團十郎は、成田山へ大神鏡を奉納し、「成田屋」の屋号を賜わり使用しました。しかし、
関東を開きし平 将門を呪い殺そうと護摩焚きしていた成田山を自の守護とした市川團十郎家に、この後様々な難儀が起こります。
江戸の総鎮守は神田明神、神田明神に奉られているのは、そう平 将門なのです。
神田明神が御鎮座される神田山は、首を討たれた平 将門の身体を隠した処から、
「身体山 → 神田山」に為ったとも噂され、
神田明神の熱心な氏子たちは、「決して成田山へはお参りに行かぬ」と云われているのです。
成田山
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