秦氏千年の計34 声なきに聞き 形なきに見る

 明治10年(1877年)1月11日、かつて薩摩と呼ばれた鹿児島に川路利良かわじ としよしの許可の元、鹿児島出身の中原尚雄なかはら なおおら警視庁職員24名が帰郷ききょうします。  西郷さいごうと共に下野げやした谷口登太 …

秦氏千年の計33『大警視』川路利良

 織はとり・服部はとりの衣服に関わる渡来系技能者とらいけいぎのうしゃの中に、服部はっとりを名乗り「謀術ぼうじゅつ」を用もちいる忍者が混ざっていて、日本に対し何らかの忍者活動を仕掛けていたのか、  それとも、徐福じょふくが …

秦氏千年の計31『わび茶』の完成と『茶の湯』の終焉

 唐物からものの流行は、室町むろまち幕府 第3代将軍 足利義満あしかが よしみつが日明貿易にちみんぼうえきで得た豊富な資金で珍しい唐物からものを購入し、  北山の金閣寺きんかくじに明みん(1368年ー1644年)よりの客 …

秦氏千年の計27 宗教を政争の具にする人々

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」のおり、豊臣秀吉とよとみ ひでよしの妻であった北政所きたのまんどころこと寧ねい(ねね)が、徳川とくがわ側へ付いたのは隠すことの出来ない事実ですが、 なぜそのような事が起きたのか、様々な憶測お …