お勢登場より 4

 
 北村きたむら 格太郎かくたろうが、子供達の隠れん坊の相手をしてやってうっかり長持ながもちの中で息絶えてからと言うもの、

悲劇の妻を演じ続ける「おせい」こと北村きたむら 勢子せいこは、やっと夫の一回忌を本日、むかえることが出来た。
 

 「しょうちゃん、もうお坊様がいらっしゃいますよ、お父様のお仏壇にお線香を上げておいてね。」

 おせいは何度目かの喪服の着付けをしながら、格太郎かくたろうの死に責任を感じ、意気消沈する正一しょういちに声をかける。

 「パパちゃん、ごめんね。もっと探してあげれば良かった、掛けがねなんて簡単にはずしてあげたのに……」

 今年で八歳になる一人息子の北村きたむら 正一しょういちは、父親を自分の遊びに巻き込み死に至らしめた悔恨かいこんの情にし潰される一年であったろう。
 

 それとはまったく逆なのがおせいである。彼女はまるで憑物つきものが落ちたかのように、

過分な夫の遺産に嬉々ききとして好き勝手な人生を送ろうと想いかがみへ向かうのだ。
 

 
 すぐ隣の押入れに仕舞ってあった。格太郎かくたろうが閉じ込められて死んだあの忌まわしき長持ながもちを……

 何故か強いておせいは我がものとする。
 

それは彼女にとってこの長持ながもちの「オセイ」の三文字もんじが、

 この世界に有ってはならぬ。めっせなければならぬ物であるからなのだ。

 ――――たとえその一欠片ひとかけらさえ残してなるものか――――
 

いっそ格太郎かくたろうひつぎとして燃やし去り、灰にしてこの世から葬ってしまえたら!

 …… いや、ほとぼりを冷まさなければ……

 一年、いえ半年でいいかしら?
 

 そんなことをあれこれ考えながら、すぐに一旦いったんは別れを偽装した不義ふぎの恋人との再会を、

誰はばかることのない堂々と二人の楽しい一時ひとときを、晴々と送れる身分になった幸せを想い、

 彼女は夢見る乙女となっていた。
 

 あの時…… ガリガリと妙な物音におせいが気付くのは、不倫ふりんの密会から帰って来た後のことである。

格太郎かくたろうが子供達から隠れるために自分の部屋の押入れの奥に有る長持ながもちの中へとはいり込み、

ふたの掛けがねで不覚にも拘禁こうきんされてしまってから――――

 どれくらいの間、夫は閉じ込められていたのであろうか……
 

 中を無性むしょうに見てみたいと言う衝動しょうどうられたおせいは、

急いで長持ながもちに掛かる金具をはずしてみたのだけれど……

 哀れな格太郎かくたろうが弱々しくもふたを持ち上げるのを、

妻は我が手でグッと押しつぶすと再び掛けがね密閉みっぺいし、

 夫を地獄の大釜おおがまへと突き落としたのがおせいの真実である。
 

 
 格太郎かくたろうとしてみれば、不倫におぼれるおせいに、これまで数々の裏切りをされてきた……

 だがこの最後の裏切りを、夫を葬った妻の、

ふたを押えつけるその力こそが紛れもない殺意さつい格太郎かくたろうに教えてくれたのだ――――
 

 呼吸もままならぬ長持ながもちの闇黒へと封じられ、そのふたの裏に現れたあかもや

 格太郎かくたろうがれる爪でなおも無数にむしり死にゆく男のえがくおぼろげな、

だが紛れもない判読出来る「オセイ」の三文字もんじ

 これがもはや亡者もうじゃと化す人間の、現世げんせで最後の仕事である。

毒婦どくふの名前をばきざみ込み、この世へのこさぬではおかぬぞ、

 その名を「オセイ」の三文字もんじのこさぬでは!!
 

 
 毎夜、毎夜のとこへ入ると、おせいの耳にはあの時と同じようにガリガリと、

剥げた爪でなおも呪いのき傷をえがく物凄い摩擦音すりおとが、

隣の納戸のもらい受けたあの長持ながもちから、

 「おせい、おせいよ、俺だ、おせいよ、助けてれよ、今度はふたを閉めるなよ。」

 気味の悪い夫の声が、おせいの耳にはっきり聴こえて来る……
 

 当然おせいは昼間のことだが、長持ながもちを開いてみたりした。

しかしそこにある物は、ふたかれた「オセイ」の三文字もんじだけ、

この死霊しりょうのこした文字もんじが、おせいをあちらへ招いているのかも知れぬ……
 

 誰にも相談出来ぬおせいの精一杯は、三文字もんじをペンキで塗り潰すことだった、

血文字ちもじの解らなくなるよう朱色をなれぬ手つきで何度も何度も刷毛はけで撫で付け、

 彼女の息が一心不乱ににじませた汗が、一筋ひとすじ落ちてそれごとおおってしまって――――それでもあいも変わらず、

 「おせい来てくれ、来てくれおせい、俺の懇願こんがんが聞こえるか。」

 格太郎かくたろうの声が一層強く、妻であったおせいの頭に響き続ける。
 

 夫のひつぎとした長持ながもちが、我が身のそばにある限り、

犯した罪の重さにさいなまれ続けるのがおせいの『ごう』であろう。

 格太郎かくたろうの愛憎が写し込まれたこの長持ながもちを、

早くも処分しようと決心したのは夫が亡くなって四十九日しじゅうくにちもまだ明けぬ深夜のことであった。
 

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