お勢登場より 5

 
 夜が明けるのも待ち遠しく、

長持ながもちひそかに古道具屋へと引き取らせたのだけれどもその晩、おせいの父親の様態が急変する。
 

 昔は不義ふぎの恋人へ会いに行くのに、寝た切りだった父親への見舞いをダシに使っていたおせいであったが、

その父親があの長持ながもちを売り払うと半日はんにちも待たず、入院してしまったのだ。

 今度は本当に三日にあげず父親の病院へ見舞に行くこととなったのである。
 

 そのの父親の様態は一進一退いっしんいったいを繰り返し、看病をするおせいの母親も半年もすると遂にはやつれ果てたあげく、

 様態が急変した父親が亡くなるとそのあとを追うように葬儀の直後、ってしまった。

それも誰にも看取みとられず、息絶えているのを娘のおせいが発見したのである。
 

 彼女も父親のことで疲れていたし葬儀が終わると息子のこと、

そして格太郎かくたろうがあんな死に方で別れて久しぶりに訪れた恋人との逢瀬おうせで一週間、

母親に連絡もせずやっと電話をしても出ないので、それから三日目にいよいよ異変にあわてて里へ行ったが真夏の十日目のこと……
 

 黒い小さな粒が目の前を横切り顔をそむけて戸を開くなり腐臭が漂い、

何処から入ったか数匹のはえが不正確な螺旋らせんえがいていて――――

 さっき顔を襲ったのも死臭に目ざといはえだったのだ、死者の体躯からだすきあらば卵を産み付けようとクルクル飛び回っている。

 「パシ!」

 おせいは自分にまとわり付く一匹を両の手で打ってみた。

 「パシッ!!」

 二回目に、半身だけ潰されはらわたき出した小さな虫の残骸が、手の平へ黒く筋を引き残る――――
 

 このように、クモ膜下出血まっかしゅっけつで苦悶にゆがみ変わり果てた母親に対面した娘の心境は、いかばかりであったろう。

 そうなると逆に、古道具屋へ売り払っていた長持ながもちを、

あわてて買い戻そうと想い至ったのは当然のことだったのではあるまいか……
 

 だがそこの主人はこの立派な長持ながもちをさっさと骨董店の集まる競売市に出品すると、

買いの4倍の高値で売れたのを喜んで、その一部は寝酒代へと消えてしまっていたのである。
 

 「ごめんください、ごめんください、長持ながもちをお売りした者ですが、」

 主人が二日酔いに渋々店へ出ると、やけに立派な長持ながもちを持ち込んだ先日の美女であった。

 「はあ、あの長持ながもちはもう売れてしまいましたが……」

 「なんですって! 売る時は連絡をくれるように言ってあったじゃ御座いませんか!!」

 「はあ、今からご連絡させて頂こうと思っておりました。」

 ――――この要領ようりょうを得ぬ相手におせいへ火が点く、
 

 「貴方! 売ってしまってから連絡してどうするんです!

売る相手のことも知りたいと、あんなに言ったじゃ御座いませんか!!

 あれは…… 大切な物だったんですよ、どうしてくれるんです! 今すぐ取り戻して来なさい!!」
 

 この憤激ふんげきが聞こえてか、奥から落ち着いた様子の女性が、

呉服のそで洒落柿しゃれがき暖簾のれんをポンとくぐりきて、おせいに深くお辞儀をすると真正面に向きあった。

主人の目利きは確かだが入り婿むこ卑屈ひくつか、慇懃いんぎんが鼻に付くのか、客を怒らせてしまうことがある。

 こう言う時が親から店を任された女将おかみの出番なのだ。
 

 「こちらも長く商売をさせて頂いております。お怒りはごもっともでは御座いますが、当方とうほうも一度は買い取らせて頂いた物でも御座いますし――――

 どうで御座いましょうか、こちらで買い戻すべく手を回します、しかし何分なにぶんお値段の方はお売りになった値段よりもお高くなってしまいます。

それと上手く買い戻せないかも知れません。もちろん努力させて頂きますが、骨董こっとうはご縁が有るかどうかで御座いますし……

 それでですどうでしょう、こちらにたような長持ながもちが御座います。」
 

 言葉をはさめず奥へうながされるおせいは、ツカツカ先を行く女将おかみの後を着いていった。

そこには小さな土蔵が在って扉を開くとその中の引っかけられた鴇羽ときはの布がおもむろにがされる、

 そこで見た物とは、他の道具と一所に一つの長持ながもちが置いてあった。
 

 「これなら誰の目から見ても先の長持ながもちと見分ける者は居ないでしょう、もちろんあの長持ながもちはお探しします。

この長持ながもちは買い取らせて頂いたお値段でよう御座いますし、いかがでしょう?

 あの長持ながもちが見付かりました際は競売けいばいになりますでしょう、けれども、必ずり落として御覧ごらんに入れます。

 ですから、一旦いったん、こちらの長持ながもちをお持ち帰り頂いて……」
 

武骨ぶこつに打たれた黒漆くろうるし鉄板てついたといい、木肌の風合いといい、あの長持ながもちにとても良くている!

 なるほど、この長持ながもちなら誰の目にもだませるかもしれない、

並べて見比べれば違いを言い当てることも出来るであろうが、見れば見る程あの長持ながもちに見えてくる。

 おせいさえ、これがそうだと言われればそう信じる他にあるまい。

格太郎かくたろう咒咀じゅそ宿やどったあの長持ながもちを、そばに置けば自分の精神をまたなぶるだろうし……
 

 だんだんと、この偽物にせものでも良いような気がしてきて――――

女将おかみ提言ていげんにおせい溜飲りゅういんの下がる心持ちとなり、そそくさ承諾しょうだくすると代金を支払い帰ってきてしまった。
 

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