居た堪れず踵を返し急いでこの場から立ち去ろうとリビングを出た、
扉を閉じ人目が無くなると同時に両手で顔を覆い隠してしまって……
感情を必死に押し留め、お勢が顔を上げると早い秋の夕暮れがもう廊下をすっかり暗くしている――――
彼女は少しだけ冷静さを取り戻し、廊下の灯りを燈してみることにした。
――――あの探偵とか言う…… 所詮お金が目当てだろう!
長持を売り付けようと端金をせびりに来ただけ……
夫の遺産は一生遊べるほどに有るのだし、お金で解決出来れば幾らでも払ってさっさと追い出してしまおう。
お勢は金を取るためあの格二郎を押し込めた長持の有る納戸の扉へ手を掛ける、まとまった現金が置いてあるのは花瓶の在った箪笥の中なのだ。
納戸の中も暗いだろうし扉を開くと同時に灯りのスイッチへ手を伸ばす…… と、
一瞬…… 長持の蓋が開いている姿がお勢の目へスローモーションのように飛び込んだ――――
しかし灯りが何故か燈っていたため、つい消してしまって……
「さっき灯りを消したハズなのに――――」
深き闇に視界が閉ざされる中、混乱している彼女の両足へ突然何かが、しがみ付いて来た!!
――――疑問は恐怖へと変わりそれが絶頂へと達し彼女の理性を失わせる――――
この絡み付く物を大いなる狂気に取り憑かれしお勢の両手が引っ掴んで!
息苦しい暗黒の中、凄まじい力が彼女を加勢して長持が在る方へ引き摺って行ってガン!と激しく角へと打ち付け――――
掛け金を掛けたはずの蓋がやはり開いていた…… お勢へ更なる錯乱が襲う――――
捕まえた物を長持の中へ逆さに突っ込んで、抗うのを蓋で、
バタンバタンバタンバタンと、強風に暴れる木の葉が如く幾度も叩き付ける……
「キャァァァ……!」
いきなり引越しでも始めたかのような物音に、リビングの明智と文代が納戸へ駆け付け、
灯りを燈すとそこにはッ……
鬼女が真っ赤な舌を吐き出し、常軌を逸した真蛇の形相をこちらへ向けた。
お勢は、片腕で長持の蓋に体重を乗せ、もう一方の手で玩具のような足の一本を鷲掴みに持ち上げてゴリゴリと、
挟み付ける長持へ、頭から丸呑みにさせた口からは、もう片方の小さな足だけが垂れて、こちらへ壊れた自動人形のようにビクビク振動している。
向こう側で、青白く萎れた男のデスマスクがベッとり血糊の貼り付く頭をグラグラ振り回し、起こされた上半身がバッタと音を立てて倒れた!
それに振り返ったお勢の目は、血に紅く染めて倒れ混む男と、長持に挟んだ物とを繰り返し凝視していたが…… やがて、
…… 千年を嘆くかの如き咆吼は響き渡る――――
母は、父の死を乗り越えようとする息子の成長に気付かずにいたのであろうか……
長持に叔父を発見した正一は、もう八歳なのだ。
格二郎を助け出した健気な一人息子が、納戸へ入って来た母に気付いて抱きついた――――
――――花瓶で殴り倒し長持の辛櫃へと納棺した格二郎が復讐のため襲って来たと、
勘違いでそう思い込んだ母は…… 息子を長持の蛇へと喰わせたのだ――――
この尋常ならざる惨状に絶句する明智と文代は、そこに……
髪を振り乱し虚空を掻き毟る一人の女を見た。
その抽象的な舞踏は、彼女の夫たる北村 格太郎の、
剥げ行く爪で何度も何度も何度も何度も、「オセイ」の三文字を掻き刻みし様相と重なるように描かれる。
「わたし、わたしは、わたしは…… わ・た・し・は……」
若い見た目に似つかわしからぬ皺枯れた声は今、彼女の喉から粗く擂り下ろされた。
文代が長持の正一へ駆け寄る、
明智は、倒れた男の様子を見ながら携帯端末へ手を伸ばし救急へ連絡すると、次は波越警部と話すのだろう。
この女性が息子さんのために誠の母親の心に戻ることは有るのだろうか? と文代は考えた…… しかし、すぐに思い直し母子の幸福をのみ願うのだ。
「あっ、明智クン、『廃仏毀釈』のことだけど!」
「――――波越警部、傷害事件です、いえ…… 殺人事件かも知れません。」
文代が前へ顔を向けると、
何時しか、ハロウィンに色付く季節も過ぎ去り、街はあっと言う間に冬の装いの準備に忙しい。
「あの美術商の髑髏のジョッキは、まだショーウィンドウに有るのだろうか?」
瞬き始めるイルミネーションの道に足を止めた家族連れのはしゃぐ子供たちのその姿が、
一つの救済を示すかのように彼女の心へ苦く沁み入って行く――――
最後までありがとう御座いました。
次回作をお楽しみに!
お勢登場より テキスト読み上げ動画 副題『長持の柩の美女』
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