――――格太郎の法要はもう始まっている、
お勢が息子のため設えた仏壇の在る広いリビングには、僧侶の他、お勢と息子の正一、
そして格太郎の弟の格二郎が今、兄の一回忌の焼香を済ませるところだ。
格太郎が息をする隙間もない長持の中で亡くなってから一年の間、
数度に渡り住所を変え夫の親族から逃れるようにしていたお勢が招いたのは、格二郎のみであった。
なぜこの男にだけは参加してくれるよう連絡をとったのか――――それは彼女が彼にある弱みを持つからなのだが……
…… 格二郎は今、どう思って居るのであろう。
格太郎の死出の旅路を二人で送ったその後の、あの長持に顕れた亡霊とも言うべき掻き傷を――――
薄れ行く意識の中で、死骸になり逝く男の指が娑婆へと刻んだあの三文字を知る者は、
それを刻んだ格太郎と、共に発見せしお勢と弟の格二郎のただ三人だけの秘め事なのだから……
「あなた、成仏してくださいね……」
これ見よがしに女の嘘の涙に濡れた頬をしなやかな手に握るハンカチで拭い、
芝居を続けるお勢とは全く逆で、とても悲しい一回忌を迎えたのが息子の正一である。
「兄さん、安らかに眠ってください。正一は大きくなりましたよ。」
死んだ格太郎の一粒種である正一の背は伸び、
そこに兄の面影を見た格二郎は、目に涙を溜めるお勢から、
正一のサッカーシューズをねだられ買ってやる約束をしたばかりであった。
もっと快活だったはずの表情からは憂いが漂い、もう一回だけ仏前に手を合わせリビングから出て行く、
これを見た格二郎にはそれが気掛かりでならぬらしい。
兄がただ一つ心配していた正一の、父親があのような死に方をしてしまって自らを責めるあまり伏せ目勝ちになったように見えるからだ――――
「姉さん、正一は大丈夫ですか?」
この、お勢のことを姉さんと呼ぶ格二郎は、彼女より大分は歳上である。
元来が善人のこの弟には、兄がお勢を愛するがあまり、
「オセイ」の三文字を死出の旅路に蓋の裏へ刻み付けたと考えたのであろう。
――――この馬鹿が愚かにも助言したのではあるまいか?
素早く別れたとは言え、お勢は愛人を囲い夫を裏切っていたのである。
それがどうだ! 死んだ夫の遺産は彼女の想像より遥か多くの分配であったのだ!!
そうか、この歳上の弟は勘違いでお勢を庇い、
それがための一生優雅な生活を送れる財産が転がり込んだとは……
この間抜けめ!! 兄より目先が利くとは言え、しょせんは『男』なのである。
「子供のことですから……」とお勢は口を開き、「夢中になるものでも出来ればすぐ立ち直れるに違いないと思っています。」とそっけない、
「そうですか……
…… そう言えば――――こんなことが有りましたね、姉さん。兄さんがとじ込められてしまった長持の蓋の裏に……
姉さんの名前が書いてありましたよね……」
!?――――格二郎はあの長持が見たいのであろうか…… あの「オセイ」の三文字を――――
長持は有る、有るには有るが…… 外見はあの長持と見間違わぬのだが、
蓋を開けば一目瞭然、「オセイ」の死に文字が無いことを…… 全く別の長持であることが、
この男にバレてしまう!……
「長持は…… 隣りの納戸に有るのですけれど、中には女物の服とか腰巻きとかが入れてありますの……」
慌てるお勢は使ってもいない長持に、もしものための古い下着だけは入れて置いたのだけれど――――
「あっ、使っているんですね、いやいや、見たいと言う訳じゃないんだ。」
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