天武天皇は、兄の天智天皇と同じ母親である斉明天皇(皇極天皇、2度御即位あそばす)から生まれた同母系兄弟です。
同じ母系の姉妹や兄弟は、古よりの「エオト制」にも例えられますから、天智天皇と天武天皇の2人が一族の代表であり、
天智天皇の跡を継ぐのは弟である天武天皇であろうと、皆がそう考える状況に有りました。
天智3年春(664年)2月9日、天智天皇は、弟である大海人皇子(後の天武天皇)を次の天皇となる東宮大皇弟に置くと、彼に命じて、
冠位を、氏上や民部・家部を増やし、冠位26階とします。
「白村江の戦い」に敗れ、海外からの脅威に曝されて以降、律令制の導入と中央集権国家を目指した天智天皇は、
「大化の改新」を行って以来、冠位制度を変更するのは、実はこれが三度目でした。
天を赤く『太陽』にするのは日本だけで、「天下(地)・東・南・天・西・北」の六方を現している。
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人間には、生まれによる。
「持つ者」「持たざる者」や「暑い地域に生まれる」「寒い地域に生まれる」、「女性に生まれる」「男性に生まれる」などの違い以外に、
人間に差異など無いのですが、ここに便宜的とは言え、社会に上下関係を設ける「儒学」的な考え方を導入します。
これが「冠位十二階」でした、そしてこの考え方は日本古来には無かった物です。
ですから、「十七条憲法」第一条で、
『和を以て貴しとなす』と成し、
【和】詰まり「人間とは上下などの無いたゆらかで知恵と優しさにより御される物」と宣言しました。
「冠位」は正しく、社会に上下関係を設ける「儒学」の考え方に当たる物で、
日本には「儒学」と「道教」が混ざり合った状況で伝わったと云いますから、
「徳・仁・礼・信・義・智」のように、
『木・火・土・金・水』の、五行思想の順番で「徳目」が並び、「徳」とは全ての徳を持つ者、
詰まり『帝王』ですから、世界で最も高貴な色「帝王紫」と成り、「冠位」の大・小は、陽・陰を表します。
算命学の祖とされる鬼谷子の生まれた「楚」の国は、現在の河南省付近と云う
この考え方は、「秦の始皇帝」が徐福ら方士たちに研究させ、皇帝に即位するに際し、最初は伝説の「黄帝」の尊号を名乗ろうとしますが、
しかし同じく“黄帝”の名を持つ仙人が、房中術により性を貯め、天へと昇って行きました。
こちらの“黄帝”が、栄養ドリンクの「黄帝液」です。
秦の始皇帝は、「私は天を治めるのでは無い、天下を治めるのだ」として「黄帝」の尊号は止め、
ここより、五行思想の東西南北と中央の「土」が天と成って六方になり、
「皇帝」として、天下の治世を行う事と成りました。
この思想は、「算命学」などの占いに現在も影響が強く現れています。
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