推古天皇10年(602年)、百済よりの法師 観勒が来朝し、曆本および、天文地理の書、遁甲方術の書を朝廷へ献上し飛鳥寺へ留まり、
陽胡玉陳などの書生を選び、観勒の元で学ばせ、
推古32年(624年)、朝廷は観勒に僧都制の導入を望むと、仏教僧と尼僧を統括するための僧侶の官職である、日本初の僧正へ任じられました。
観勒が来朝した翌年、推古11年(603年)に「冠位十二階」は制定されますから、関連があったでしょう。
また、さらに翌年の推古12年(604年)には、聖徳太子により曆本が朝廷に採用され、天体の運行に基づいた暦を導入し期日が統一されます。
そして、これらの術が後の「陰陽道」や「忍術」へと昇華されて行きました。
丸に十の字
これは「太陽十字」または「車輪十字」と言い、国際的には太陽のシンボルです。
島津の家紋は、馬の口に含ませる「轡」に見立てた「丸に十字の轡紋」へ、カモフラージュされました。
もう一方の「忍術」の系譜は、芸能に有ります。
来朝する渡来人の中には、ペルシアの大魔術の類いや、回遊の芸能者であった「ロマ」ジプシー・ツィゴイナーたちも日本へ来ていたならば、
彼らこそ芸能者がキリスト教を持ち込んだ最初となるでしょう。
人形使いや操り人形自身を示す「傀儡」は、「かいらい・でく」とも読みますが、この「傀儡」なる言葉がどこから来たのかを考察すると、
日本神話に登場する木の神である「ククノチ・クグノチ」が、木で作られる操り人形を動かし「ククノチ宿りし」とした物とも、
渡来人が人形を操る棒・スティックを、交差・クロスさせた処から「クロス」が「傀儡」に成ったとも言われています。
すなわち「クロス」はイエス・キリストの架けられし十字架を現すのは皆様ご存知の事と思います。
十字の意匠は「秦物」と呼ばれ、秦氏の流れを汲む島津の家紋が「十字に丸」なのを皆様ご存知でしょうか、
キリスト教が禁教になるまでは、十字と丸は接触せず独立する物でした。
その島津がキリシタン大名の大友宗麟と遣り合っていたのは面白いですね。
飛鳥寺
←戻る
秦氏千年の計40 占いで知られる「算命学」は飛鳥時代に伝来していた
【生の無限性】アポロンとディオニュソスの二男神が、日本ではアマテラスとアメノウズメの二女神になる!!【生の有限性】(壱の巻)
ハイグローブオーガニック Highgrove Organic 英国紅茶 アールグレイ (Earl Grey) 110g 缶入り[並行輸入品]チャールズ皇太子のブランド
いつもありがとうございますm(_ _)m
歴史の豆知識(歴史)にほんブログ村へ