秦氏千年の計42 弥勒菩薩とダビデ神社

 聖徳太子しょうとくたいしの側近である秦河勝はたの かわかつは、世阿弥ぜあみしるせしのうの理論書『風姿花伝ふうしかでん』によると……

 欽明きんめい天皇御代みよ、大和の国は奈良の泊瀬はつせ初瀬はつせ)の川に洪水こうずいが起き、そこへ流れし一つのつぼ

人々はこれを不審に思い、磯城島しきしま三輪みわの杉の鳥居の辺りで殿上人てんじょうびとがお拾いになられ,つぼの中には生まれたばかりの玉のような赤子あかごが居たのです。
 

 その夜のこと、欽明きんめい天皇の夢にその赤子あかごが現れて、

 「われ秦の始皇帝しん  しこうていの生れ変りなり、日本に生まれ出る機縁きえんの有りてみかど朝見ちょうけんの機会をいただければこれ幸い」と言いますから、

 この夢見ゆめみをいたく奇特きとく思召おぼしめされし欽明きんめい天皇は、赤子あかご御所ごしょ召出めしださせると、御自身ごじしん御側おそば召し寄め よせになられました。
 

 赤子あかごは成長すると才知さいち叡智えいちすぐれ、元服げんぷくに際し“はた”のかばね河の洪水かわ こうずいより助かった処から河勝かわかつをばたまりし、これより秦河勝はたの かわかつ名乗なのり、

 推古すいこ18年(610年)、新羅使しらぎし任那使にんなし拝朝はいちょうした際、新羅使しらぎし導者どうしゃを務めます。
 

弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつ はんかしいぞう(国宝)
 

太秦うずまさ 広隆寺こうりゅうじ

 
 推古すいこ11年(603年)11月、秦河勝はたの かわかつ聖徳太子しょうとくたいし御仕おつかえすると、弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつ はんかしいぞう(現在、国宝)をたまわり、

 秦氏の本拠地である現在の京都は山城やましろの国、太秦うずまさ秦氏の氏寺はたうじ  うじでら、京都最古の寺として知られる広隆寺こうりゅうじ建立こんりゅうすると、この弥勒菩薩みろくぼさつ本尊ほんぞんとしました。

弥勒菩薩みろくぼさつは、イラン・インド共通の神である「ミスラ神・ミトラス神」から、イランのクシャーナ朝「ミイロ神」へ、そして弥勒菩薩みろくぼさつになったと云い、

 現在は薬師如来やくしにょらい御本尊ごほんぞんとしております。
 

 ここ広隆寺こうりゅうじの境内には、かつて秦始皇帝しんの しこうてい御祭神ごさいじんとする大酒おおさけ神社が御鎮座ごちんざあそばされて居りましたが、

チャイナに古くから有る「景教けいきょう(キリスト教)」によれば、大酒おおさけ大避おおさけとは大闢だいびゃくと古くは書き、

大闢だいびゃくは、古代イスラエルの王である「ダビデ」を現す表記ですので、
 

 渡来人とらいじんの秦氏が『創世記そうせいき』や『聖書せいしょ』と、何らかの関係が有り「ダビデ」だと知っていて大酒おおさけ大避おおさけ)神社をここへ鎮座ちんざさせた、

 詰まり、大酒おおさけ神社 = ダビデ神社、を日本にえて創った可能性が有るのです。
 

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