秦氏千年の計47 天智天皇の最期と弘文天皇の誕生

 蘇我安麻呂そがの やすまろは、蘇我馬子そがの うまこ曾孫ひまごに当たる人物で、大海人皇子おおあまのみこ後の天武てんむ天皇病床びょうしょう天智てんぢ天皇の元へ呼ぶ、使者ししゃの役をおおせつかりました。

 安麻呂やすまろ大海人皇子おおあまのみこと親しくしており、天智てんぢ天皇側は、

 「彼に呼びに行かせれば、大海人皇子おおあまのみこも心を許し、うっかり油断して馬脚ばきゃくあらわすだろう」との思惑おもわくも有ったのでしょうが、蘇我安麻呂そがの やすまろは、
 

 「よくよく注意なさって、お話しすることをおすすめします」

 と、大海人皇子おおあまのみこに耳打ちします。

 この友人よりの忠言ちゅうげんに、大海人皇子おおあまのみこ天智てんぢ天皇からの「天皇ゆずる」との申し出を辞退、あっさり出家しゅっけするとそのまま吉野へ脱出することが出来ました。
 

弘文こうぶん天皇大友皇子おおとものみこ


弘文こうぶん天皇天皇御即位ごそくいあそばされたかいなかは、歴史家らにとって議論が有る。

 
 同年11月23日、天智てんぢ天皇内裏だいり西殿せいでん織物仏おりものぼとけの前へ、香炉こうろを手にする大友皇子おおとものみこと、先の5名をあつむれば、

 「天智てんぢ天皇みことのりほうずる。必ず大友皇子おおとものみこを始めとするこの6名は、心を同じゅうして天智てんぢ天皇みことのりを護り、もしたがえる事あらば必ず天罰を受くる!」

 さらには、
 

 「臣下しんか5名は未来永劫みらいえいごう大友皇子おおとものみこに付きしたがい、これを裏切るなら、持国天じこくてん増長天ぞうちょうてん広目天こうもくてん多聞天たもんてんに打たれ、天津神・国津神あまつかみ くにつかみにも誅罰ちゅうばつせらる。

 大友皇子おおとものみこが必ずや天皇御即位ごそくいあそばされまするよう、ここに居る皆が一丸と成らん事を、善法堂天ぜんぽうどうてんら三十三天よ、このあかしを知れ!

 約定やくじょうを破る者あらば子孫は一族郎党いちぞくろうとう、必ずやほろびんことを……」

 などと、皆が泣きながらちかわされるので有りました。
 

 来たる同年同月29日にも、また5名の臣下は大友皇子おおとものみこほうずると、同じ内容で天智てんぢ天皇御前おんまえ盟約めいやくしています。

 そして同年、天智てんぢ10年(671年)12月3日、大化たいか改新かいしんなど、大改革を行ってきた天智てんぢ天皇は遂に、46歳で御即位ごほうぎょあそばされました。
 

 大友皇子おおとものみこ天皇即位そくいあそばされたのかいなかは、歴史家たちの論争ろんそうになっております。

 天皇の行う国事行為こくじこういを行っており、異論いろんはさむ者は少数しか居ません。

 天智てんぢ天皇崩御ほうぎょにともない、朝廷ちょうていを継いだ大友皇子おおとものみこは、翌年の壬申しんがいの年(672年)、24歳で天皇御即位ごそくいあそばされたとして、

 明治3年(1870年)、明治めいじ天皇より貴人きじんへ対し死後に贈られる諡号しごう、第39代 弘文こうぶん天皇寄贈きぞうされ、歴代天皇れっせられました。
 

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