飢えた虎の母子が居て、そこに私も居たとする。私は虎に食べられれば死ぬ、しかし虎の母子も私を食べねば飢えて死んでしまう。
果たして、神はどちらを助け生かすで有ろうか?
結論を言えば、神は全能で有ればこそどちらも助けず、中立である。
神は味方も敵をも愛し、公平を護り、全知なればこそ、神なればこそ、どちらの側にも加勢せず邪魔をもせず。
神の絶対の理性は、どのような事が現世で起ころうとも微動だにしない、
『公平中立』で有り続けるのだ。
『古事記』では、神々が争うと公平で中立を護る姉弟神の存在が出て来る。
「アマテラス vs スサノオ」のツクヨミや、
「海幸ホデリ vs 山幸ホオリ」のホスセリがそうで、
河合隼雄 氏はこれを「中空構造」と定義された。
このように、存在は分かっているが「何をなされたのか書かれていない神」は他にも居られ、
下界と真逆の天界では、語られぬ事こそが重要なのであろう。
いや、「何もなさらなかった」のでは無い!
『公平中立』を貫かれたのである。
なぜ「映画のジャイアンはカッコいい」のか1『四魂』と『まれびと』
週刊ニッポンの国宝100 45 玉虫厨子/臼杵磨崖仏(タマムシノズシ ウスキマガイブツ)[分冊百科] (2018年8/21号) 雑誌
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