秦氏千年の計13 情報収集と遣唐使
このように、戦いくさも強く永きに渡りチャイナを苦しめてきた歴史有る高句麗こうくりが滅んだことで、東アジアの均衡きんこうは崩れます。 もはや朝鮮半島に日本の味方は無いかのように見えました、ただし「白村江の戦いはくすきの …
秦《はた》氏は、約2千年前の第15代 応神《おうじん》天皇の御代、朝鮮半島より転場して来た日本の代表的な渡来系氏族で、天皇家に助力し朝廷設立にたずさわったとされ、『秦の始皇帝』の子孫とも、ユダヤ系とも、原始東方キリスト教を日本へ持ち込んだ景教《けいきょう》(ネストリウス派キリスト教)徒だったとも言われる。
第29代 欽明《きんめい》天皇の御代より朝廷にお仕えすると、第50代 桓武《かんむ》天皇の御代、秦氏が山城国《やましろのくに》へ都を誘致して平安京建設に尽力、京都千年の繁栄に貢献した。
中央アジアにあるテングリタグ(天山)山脈の二番目の高さを誇るハン・テングリ山は、東トルキスタン(ウイグル)、カザフスタン、キルギスのイスラム教三国国境になるが、その西のキルギス内陸にあるイシク・クル湖付近にかつて存在した『弓月《ゆづき》の国』が秦氏の国であったとされ、その付近から発見された2箇所の9〜14世紀の墓地からは、十字架の付いた墓石が6百以上も発掘されている。
十字架の意匠をかつての日本では「機物・磔《はたもの》」と呼んだ。
秦氏には、秦の始皇帝に使わされた徐福《じょふく》系と、秦弓月《はたの ゆづき》(弓月君)系の2系統が有るが、徳川時代に徐福系のみが『秦』を名乗る事とされる。
秦河勝《はたの かわかつ》、秦大津父《はたの おおつち》、秦公伊呂具《はたのきみ いろぐ》、秦忌寸都理《はたのいみき とり》が有名。
後に羽田《はた・はだ》、東儀《とうぎ》、惟宗《これむね》、宗《むね・そう》、長宗我部《ちょうそかべ》、島津《しまづ》などが出た。
このように、戦いくさも強く永きに渡りチャイナを苦しめてきた歴史有る高句麗こうくりが滅んだことで、東アジアの均衡きんこうは崩れます。 もはや朝鮮半島に日本の味方は無いかのように見えました、ただし「白村江の戦いはくすきの …
中大兄皇子なかのおおえのおうじは天皇に御即位ごそくいあそばされぬまま御政務ごせいむを続けられ、百済復興くだら ふっこう戦争を継続あそばすと、 天智てんち2年(663年)、現在の朝鮮半島の錦江くむがん河口付近「白村江はく …
西暦655年、朝鮮半島では百済くだらと高句麗こうくりが連合して新羅しらぎに進行しました。 これに新羅しらぎはチャイナ、当時の唐とう王朝へ恭順きょうじゅんの意いを示し救援を求め、唐とうの冊封国さくほうこくとなります。 …
日本は二回、世界戦争に負けたことが有ります。そしてその2つともに、日本は大敗北を喫だいはいぼく きっしました。それが、 「白村江の戦いはくすきのえ・はくそんこう たたか 」と「第二次世界大戦だいにじ せかいたいせ …
皆様も、結婚式をお挙あげになると成りますと、『吉日きちじつ』をお選びになると思います。 しかし政治では、「大安たいあん」だろうと「友引ともびき」だろうと、たとえ「仏滅ぶつめつ」で有ろうとも、 執とり行わなければならな …
何時もお疲れさまです。 ツイッターをやらせて頂いておりますと、 「令和になって良いことがない」など、嘆なげいて居られる書き込みを、何度か目にした事が御座います。 実は、それもそのハズと申しましょうか…… …
『天照大御神あまてらすおほみかみ』より五世孫いつつぎのひこにあらせられる「初代皇尊すめらみこと」神武じんむ天皇の、 日向ひむかから大和やまとの地へ宮みやを遷うつせられた『神武東征じんむとうせい』のことを、 宮崎県では …
では、秦大津父はたのおおつちの云う、 『二頭のオオカミが血を流し争う』とは、何を意味しているのでしょうか? 第26代、継体けいたい天皇(在位507年ー531年)の御代みよ、朝鮮半島の日本領である南加羅ありひしの …
しかし、「○○の犬」と言うように、『犬いぬ』を悪い意味で使う場合も御座います。 それはなぜでしょう? 皆様は「万 里ばんり の 長城ちょうじょう」を、ご存知の事と思います。 チャイナの各王朝はおよそ三千年も前 …
『万葉集』巻八 「大口おおくちの、まかみの原に、ふる雪は、いたくなふりそ、家もあらなくに」 舎人娘子とねりのおとめ(飛鳥時代の女官・歌人) と歌にも有りますように、オオカミは『真神まかみ(まことの神・正しい神)』・ …