秦氏千年の計6「二頭のオオカミ」日本国と倭国

 では、秦大津父はたのおおつちの云う、

 『二頭のオオカミが血を流し争う』とは、何を意味しているのでしょうか?
 

 第26代、継体けいたい天皇(在位507年ー531年)の御代みよ、朝鮮半島の日本領である南加羅ありひしの から喙己呑とくことんは、新羅しらぎに占領されていました。
 

 奪還だっかんの命を受けた近江 毛野おうみの けなは、軍6万人をひきい朝鮮半島南部の任那にんな赴任ふにんしようとしますが、

九州は現在の福岡県、筑紫国造つくしのくにの みやつこ(福岡県知事)であった筑紫 磐井つくしの いわい新羅しらぎ談合だんごうし、日本軍の出兵を阻止しようとたくらみ、

 継体けいたい21年(527年)磐井いわいらん勃発ぼっぱつしてしまいます。
 

 筑紫 磐井つくしの いわいは現在の九州は豊国とよのくに(大分県・福岡県東部)と、火国ひのくに(熊本県・佐賀県・長崎県)を制圧すると、

朝鮮半島諸国から日本へやって来る朝貢船ちょうこうせんを、我が物にしようと画策かくさくしました。
 

 大和朝廷は協議の上、物部麁鹿火もののべ の あらかいを平定軍の将軍として派遣します。

 翌年の西暦528年11月11日、筑紫 磐井つくしの いわい物部麁鹿火もののべ の あらかい相見あいまみえ激しい戦闘の末、筑紫 磐井つくしの いわいは敗れ去りました。
 

 このように、大和朝廷と九州勢力は必ずしも一枚岩では無かったのです。

 その上、九州勢力の中には、新羅しらぎと独自に関係を持つ者も居ました。
 

漁夫ぎょふ
二者が争うのに乗じ、第三者が二者の利益をる『戦国策 燕策せんごくさく えんさく』より
「人の弱みに付け込み交渉を有利に進める
 

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 西暦945年に後晋こうしん王朝の時代に編纂へんさんされる、とう王朝(西暦618年ー907年)の最初の歴史書『旧唐書くとうじょ』にもこう有ります。

▲「倭國者古倭奴國也」倭国わこくいにしえ倭奴国わどこくである。

▲「日本國者倭國之別種也」日本国は倭国わこくの別種である。
 

 詰まりとう王朝からは、まるで二つの国が日本に存在するかのように見られて居た訳です。
 

三井郡みいぐん磐井いわいらんの交戦が有った地

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