秦氏千年の計41 丸に十の字
推古すいこ天皇10年(602年)、百済くだらよりの法師ほうし 観勒かんろくが来朝らいちょうし、曆本れきほんおよび、天文地理てんもんちりの書、遁甲方術とんこうほうじゅつの書を朝廷へ献上し飛鳥寺あすかでらへ留とどまり、 陽 …
『歴史』には二つ有る。
一つ目は、次から次に消えゆく実際に起こった現象で、考古学的に解明されひっくり返りようの無い物も多い。
二つ目は、人によって都合良く、あるいは悪く意図的に改変されて書かれた『歴史』と呼ばれる代物で、妄想やプロパガンダ・利権や詐欺行為により、教科書などがしばしば書き換えられている。(例:東北の『アテルイ日本先住民 説』や、北海道の『アイヌ日本先住民 説』なる頭の悪い妄言や恥知らずな差別意識から、国連やメディア・政治家が捏造した『アイヌ新法』及び、それにより発生する偽アイヌ)
推古すいこ天皇10年(602年)、百済くだらよりの法師ほうし 観勒かんろくが来朝らいちょうし、曆本れきほんおよび、天文地理てんもんちりの書、遁甲方術とんこうほうじゅつの書を朝廷へ献上し飛鳥寺あすかでらへ留とどまり、 陽 …
天武てんむ天皇は、兄の天智てんぢ天皇と同じ母親である斉明さいめい天皇(皇極こうぎょく天皇、2度御即位たびごそくいあそばす)から生まれた同母系兄弟です。 同じ母系の姉妹しまいや兄弟きょうだいは、古いにしえよりの「エオト …
しかし感情が爆発する寸前なのは、そこに居る天皇すめらみことの臣下しんかたちの方で、務めを果たした三輪 逆みわの さかうとその二人の子を、咎人とがびととして処刑した守屋もりやへ、 今にも斬りかからんとするのを悟り、物部守 …
この非常識な行為に、三輪 逆みわの さかうは兵衛つわもののとねりを招集し、殯宮もがりのみやの門を固く閉じて侵入を阻はばみますが、穴穂部皇子あなほべのみこは七度ななたびに渡り夜這よばいました。 けれども殯宮もがりのみや …
敏達びだつ14年(585年)3月、「廃仏派はいぶつは」の物部守屋もののべの もりやは、 「疫病やくびょうは仏教信仰のせい」として、大連おおむらじの権限を乱用し、 蘇我馬子そがの うまこが造営ぞうえいした仏舎ぶっしゃ …
聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。 これは、一度に1 …
聖徳太子しょうとくたいしと百済観音くだら かんのん(聖徳宗総本山 法隆寺) 法隆寺ほうりゅうじは、聖徳太子しょうとくたいしの御父君にあらせられる用明ようめい天皇の発願ほつがんによって、建立こんりゅうされました。 です …
およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武じんむ東征とうせい』、もしくは、 日向ひむかより大和やまとへ遷都せんとする『神武じんむ東遷とうせん』に際し活躍した「道臣命みちのおみのみこと」が最初となりましょ …
明治10年(1877年)1月11日、かつて薩摩と呼ばれた鹿児島に川路利良かわじ としよしの許可の元、鹿児島出身の中原尚雄なかはら なおおら警視庁職員24名が帰郷ききょうします。 西郷さいごうと共に下野げやした谷口登太 …
織はとり・服部はとりの衣服に関わる渡来系技能者とらいけいぎのうしゃの中に、服部はっとりを名乗り「謀術ぼうじゅつ」を用もちいる忍者が混ざっていて、日本に対し何らかの忍者活動を仕掛けていたのか、 それとも、徐福じょふくが …