およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武東征』、もしくは、
日向より大和へ遷都する『神武東遷』に際し活躍した「道臣命」が最初となりましょう。
天孫降臨のおりニニギノミコトに随伴し降臨したアメノオシヒノミコトこそ、道臣命(元々の名は、日臣命)の先祖で有り、大伴連の祖先でした。
長兄にあらせられる彦五瀬命が、長髄彦の矢に当たりて瀕死の内に、
「日神の皇子たる我らが日の昇る東を向いて攻めたため痛手を負うに至った、今後は相手の背後へ南を迂回し夜明の旭を背に眩しきを攻めよう。」
と、御崩御の際へ御雄叫ばれし雄湊に、『竈山神社』へ奉らるる。
神日本磐余彦天皇(神武天皇 神武元年ー神武76年)の行幸は、狭野を越え熊野より吉野への険しき道を、
夢に出でし天照大御神の天皇へ言われしが郷導者になせと、
高御産巣日神の御遣わしになられし「夜の太陽」シリウスの『八咫烏』を目印に先陣を切るは道臣命、
軍事部隊「大久米部」を率い熊野の山中へ分け入ると、密策を以て逆さ言葉の暗号「諷歌倒語」を唱えれば、妖気を掃いて邪魔する者を取り除いて征く。
『八咫烏』の先導と道臣命の働きで、神武天皇は大和の国の菟田穿邑へ苦難の末に辿り着き、
菟田県の長である魁帥の兄弟、兄猾と弟猾を招集しますが、兄猾だけは出て来ません。
皇師の威いを観てとても正面からでは敵わないと恐れた兄猾は、新しき宮を建て神武天皇を饗すと申しますが、弟猾は「信じない方が良い」と語ります。
道臣命は、軍事部隊「大久米部」の長 大久米命と共に、
「自分が先に入ってみろ!」と、剣と弓を構え、兄猾を宮の中へと追い立てる、
床を踏むと天井が落ちる「釣天井」の仕掛けの部屋へ、神武天皇を騙し殺そうとの自分の企みに、落ちてきた天井へ押し潰されて兄猾は圧死しました。
神武天皇は御自ら高御産巣日神を御奉じあそばされると、道臣命を顕斎の斎主とされ、古よりの女性名を「厳媛」と御名付けあそばされ、
女人の姿と成りし道臣命は、天神地祇を祀り建つ。
男神として描かれることの多い道臣命ですが、斎主は伝統的に女性が勤めて来ましたので、ここでは「厳媛」とヒメの名が付けられました。
道臣命は女神なのかも知れません。記紀の世界は「ユニセックス」ですから。
八十梟師が打たれた「忍坂」
「忍坂の 大室屋に 人多に 入り居りとも 人多に 来入り居りとも 強々し 久米の子らが 頭槌い 石槌い持ち 撃ちてし止まむ」
なおも恭順せぬ梟の眼を持つ八十梟師たちを集めて大いに酔わせ、料理人に偽装せし「大久米部」の八十膳夫たちは、
道臣命の「撃ちてし止まむ」の唄を合図に、
八十梟師らを討ってしまいます。
和琴、篳篥、龍笛の調子に乗せて、皇帝の御前にて舞われる久米部の兵の久米舞は、宮中儀式の国風歌舞の一つで、
抹額の冠をかぶり、緋色の袍に剣を携えた日本最古の歌舞は、平成の即位の礼や、国立劇場で宮内庁式部職楽部により一般公演されました。
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