捨身飼虎とは、仏教開祖『釈迦』ガウタマ・シッダールタに生まれるまでの、動物に生まれたり人に生れたりして死ぬ、いくつかの前世のお話しの中で、
『ジャータカ』や『金光明経』などに説かれる一話である。
薩埵王子はある時、飢えた母虎とその7頭の子虎に出会った……
王子は飢えのために我が子を死なせてしまう母虎に同情すると、自らの身を崖より躍らせ、その肉体を虎に食べさせて母子の命を救う。
飢えて死に逝かんとする虎の母子の魂に、薩埵王子の「神性」が共感し、
王子の主観が、自らの肉体を、命を、エゴ(我)を突き破り、虎側へ移動して自分よりも虎の母子の命の方が大切になってしまったのだ。
釈迦は、海亀に生れていた前世も有り人の食物となっている、その時は食べられまいと抗ったかも知れない。
しかし薩埵王子は自ら虎へと肉体を差し出した。
もちろん凡人には、とても真似できる事では無い。
神や仏ならぬ、私や人間集団の理性は相対的な物で、変動するのが当たり前だ。
集団の理性は、ビートたけし 氏が用いた言葉「赤信号みんなで渡れば怖くない」となる事も有り、戦争とていとわない。
相対であればこそ、人に有害なバイ菌やウイルスを免疫が殺しつづけても良心の呵責はなく、そればかりか生物の命を故意に奪い食べることも出来る。
食べなければ死んでしまう。
食べることを意図的に止めれば、自分を殺す行為「自殺」になってしまう。
自分自身とは言え「人殺し」に違いは無い。
この現世は罪深い、こう言う場所なのだ。
だから「仕方がない」と言っている訳でも無い。
なぜなら、私にも誰にでも「神性」が宿っているのだから。
公平で無い事への怒りは共感出来る。
『公平中立』こそが、全人類が共鳴する事象なのだろう。
人の中に宿る「神性」即ちこれこそが、
人間の心に有る「公平性」と言うことに、なるのではないだろうか。
資料(PDF)
仏教の「慈悲」と共感について – 東洋大学学術情報リポジトリ
仲 島 陽 -
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ジャータカ 仏陀の前世の物語 (角川ソフィア文庫) 文庫 松本 照敬 (著)
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