あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
額田王 『萬葉集』第38葉(巻1ー20)
茜色の日が射す、染料や薬用に使う紫草の群生地である紫野を行き、そのような大切な場所で立入を禁止する標しが立てて有る標野を行き、
一般人が立入らないよう立って居る野の守番に見られてはいないでしょうか、貴方が袖を振り私に合図するのを。
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
大海人皇子(後の天武天皇) 『萬葉集』第38葉(巻1ー21)
高貴な色「紫」のように妹「愛しい女性」を憎くて別れましょうか、今は他の人の妻です私の恋心は見せずに置きましょう。
この歌の前書きには、
「大海人皇子が、現在の滋賀県は蒲生野で狩りをされし時、額田王の作れる歌」そして、
「大海人皇子の答えられし御歌」と記されております。
蒲生野に皆が狩りを楽しんだ後の宴席で額田王が、大海人皇子との昔の男女関係をネタに一首詠み、さらに大海人皇子がそれへ歌を返しました。
額田王は、天智天皇・大海人皇子の母親にして二度天皇へ御即位あそばされた、皇極天皇(斉明天皇)の歌を代作する役割をなさっておられ、
大海人皇子が元服した際に年上の女性から選ばれる添い臥しとなり、そのまま彼の最初の妃に成られ、十市皇女をもうけます。
持統天皇
【小倉 百人一首】では、父である天智天皇の次の二枚目に収録されている。
絵:歌川国芳
しかし天智天皇は、自らの弟である大海人皇子の妻の額田王に惚れ込んで、
己が娘4名、大田皇女・鸕野讃良皇女(後の持統天皇)・大江皇女・新田部皇女を、大海人皇子へ送り、額田王を譲り受けました。
このように、女性を物の如くやり取りするのは感心しませんが、
ともかく天智天皇が、額田王を側へ置きたがったその訳は、彼女の才気溢れる歌人としての実力が故だったのでしょう。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
持統天皇 『新古今和歌集』巻3(夏ー175)
春は過ぎ、夏が来て水も冷たく感じなくなりました。
神事に使うカジやコウゾの木の皮の繊維で織られし白い衣を洗い干す先に、奈良県橿原市に在る天香久山が見え、貴方を思い出します。
天智天皇の死後、天智天皇の皇子である大友皇子と、大海人皇子が「壬申の乱」で敵対した際に、
吉野へ隠棲する大海人皇子に付いて行く女性は、二人の間に生まれた草壁皇子を連れた鸕野讃良皇女だけでした。
大海人皇子が勝利し、天武天皇に御即位されると、鸕野讃良皇女は皇后となり、天皇御崩御の後は、鸕野讃良皇女が持統天皇へと御即位あそばされます。
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