秦氏千年の計44 額田王を巡る天智天皇と天武天皇、そして持統天皇

 あかねさす 紫野むらさきのき 標野しめのき 野守のもりずや 君が袖きみ  そで

額田王ぬかたの おおきみ 『萬葉集まんようしゅう』第38葉(巻1ー20)

 茜色あかねいろ日が射ひ さす、染料や薬用せんりょう  やくように使う紫草むらさきぐさ群生地ぐんせいちである紫野むらさきのを行き、そのような大切な場所で立入を禁止するしるしが立てて有る標野しめのを行き、

一般人が立入らないよう立って居る守番もりばんに見られてはいないでしょうか、貴方がそでり私に合図するのを。
 

 紫草むらさきの にほへおえいもを くあらば 人妻ひとづまに われ恋ひこいめやも

大海人皇子おおあまのみこ後の天武てんむ天皇 『萬葉集まんようしゅう』第38葉(巻1ー21)

 高貴な色「むらさき」のようにいもいとしい女性ひと」をくて別れましょうか、今はほかの人の妻です私の恋心は見せずに置きましょう。
 

 このうたの前書きには、

大海人皇子おおあまのみこが、現在の滋賀県は蒲生野がもうので狩りをされし時、額田王ぬかたの おおきみつくれるうた」そして、

大海人皇子おおあまのみここたえられし御歌みうた」としるされております。
 

 蒲生野がもうのに皆が狩りを楽しんだ後の宴席えんせき額田王ぬかたの おおきみが、大海人皇子おおあまのみことの昔の男女関係をネタに一首いっしゅみ、さらに大海人皇子おおあまのみこがそれへうたかえしました。

 額田王ぬかたの おおきみは、天智てんぢ天皇大海人皇子おおあまのみこの母親にして二度ふたたび天皇御即位ごそくいあそばされた、皇極こうぎょく天皇斉明さいめい天皇うた代作だいさくする役割をなさっておられ、

大海人皇子おおあまのみこ元服げんぷくした際に年上の女性から選ばれる添い臥そ ぶしとなり、そのまま彼の最初のきさきに成られ、十市皇女とおちの ひめみこをもうけます。
 

持統じとう天皇


小倉おぐら 百人一首ひゃくにんいっしゅ】では、父である天智てんぢ天皇の次の二枚目に収録されている。
絵:歌川国芳うたがわ くによし

 
 しかし天智てんぢ天皇は、みずからの弟である大海人皇子おおあまのみこの妻の額田王ぬかたの おおきみ惚れ込ほ こんで、

おのが娘4名、大田皇女おおたの ひめみこ鸕野讃良皇女うののさららの ひめみこ後の持統じとう天皇大江皇女おおえの ひめみこ新田部皇女にいたべの ひめみこを、大海人皇子おおあまのみこへ送り、額田王ぬかたの おおきみゆずり受けました。
 

 このように、女性を物のごとくやり取りするのは感心かんしんしませんが、

ともかく天智てんぢ天皇が、額田王ぬかたの おおきみそばへ置きたがったその訳は、彼女の才気溢さいきあふれる歌人としての実力がゆえだったのでしょう。
 

 はるすぎて 夏来なつきにけらし 白妙しろたへの ころもほすてふちょう あま香具山かぐやま

持統じとう天皇 『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』巻3(夏ー175)

 春は過ぎ、夏が来て水も冷たく感じなくなりました。

 神事しんじに使うカジやコウゾの木の皮の繊維せんいられし白いころもを洗いす先に、奈良県橿原市ならけん かしはらしに在る天香久山あまのかぐやまが見え、貴方を思い出します。
 

 天智てんぢ天皇の死後、天智てんぢ天皇の皇子である大友皇子おおとものみこと、大海人皇子おおあまのみこ壬申じんしんらんで敵対した際に、

吉野へ隠棲いんせいする大海人皇子おおあまのみこに付いて行く女性は、二人の間に生まれた草壁皇子くさかべの みこを連れた鸕野讃良皇女うののさららの ひめみこだけでした。

 大海人皇子おおあまのみこが勝利し、天武てんむ天皇御即位ごそくいされると、鸕野讃良皇女うののさららの ひめみこ皇后こうごうとなり、天皇御崩御ごほうぎょの後は、鸕野讃良皇女うののさららの ひめみこ持統じとう天皇へと御即位ごそくいあそばされます。
 

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