『旧唐書』巻一九九上 列伝第一四九上 東夷「日本国伝」
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中国疑焉。
又云、其国界東西南北各数千里、西界南界咸至大海、東界北界有大山為限。山外即毛人之国。
日本国は倭国の別種である。
「その国は、お日様の辺りに在るので、『日本』と名付けました。」
あるいは言っている、「『倭』は「身を曲げて低く」の意味で雅じゃない悪い名前だから自分で『日本』に変えました。」
あるいはこう言っている、「『日本』は小さい旧くからの国で、倭国九州の地を併合しました。」
その唐王朝へ入った日本人は、多くが自分の国を大きいと矜、事実による対応をしない。それで国中は焉れを疑っている。
またこう言っている、「その国の界は、東西南北おのおの数千里で、西の界と南の界は咸な大きい海へ至ります。
東の界と北の界は大きい山が有る限りで、山の外はすぐ毛人の国です。」
唐王朝の首都だった『長安』、現在の陝西省 省都 西安市
この「毛人の国」とは複数の可能性があり、いずれも出雲系と関連付けられる。
●スサノオが自らの「毛」を植えそれが「木」になった木の国・紀の国・紀州、かつての地方行政区分『紀伊国』現在の和歌山県・紀伊半島、のこと。
●古墳時代の地域・文化圏である『毛野』が、2つに分けられた「上毛野」旧国名『上野国』現在の群馬県と、「下毛野」旧国名『下野国』現在の栃木県南部、のこと。
『毛野』の「毛」も、【スサノオ系=出雲系】の予測が立てられ事実、出雲系の神を御祀りする神社が旧『毛野』地域には多い。
●古墳時代末の7世紀まで続縄文 文化の生活を続けてきた北海道の髷を結わない縄文人の情報が、現在の埼玉県・東京都から北海道へ転場した出雲族『土師氏』より大和朝廷へもたらされた物。
●【毛人=スサノオ系=出雲系】とも考えられるため、出雲の人々が転場して作った国々を「毛人の国」と言った可能性も否定できない。
実際に紀伊国に住む人々を「紀人・木人・樹人」と呼び、
■『万葉集 巻一・五五』
麻裳よし紀人羨しも亦打山 行き来と見らむ紀人羨しも
「麻裳よし」は、麻が紀伊国の特産であったことから「紀」「紀人」「紀路」「城上(地名)」などにかかる枕詞である。
紀伊産の麻の裳(女性用ロングスカート)が良い、紀の国の人は羨ましいものだ。真土山(亦打山)を行き帰りに見ることの出来る紀の国の人は、本当に羨ましい。
と紀伊国の人々やその山は描かれ、和歌にうたわれし山『和歌山』となっています。
■『万葉集 巻三・二九八』
亦打山夕越え行きて廬前の 角太河原に独りかも宿む
大和国と紀伊国の国境である真土山(亦打山)を夕方に越えて行き廬前の、隅田の河原に妻もなく独りさびしく寝ることだろう。
このように『旧唐書』の ❝山外即毛人之国❞ とは、大和国の朝廷からすると、
「(国境である)真土山の外はすぐ紀人の紀伊国です。」がしっくり来るでしょう。
和歌山県 真土