儒学(儒教)の始祖である孔子の言葉を、ここに書いて於きましょう。
▲「女子無才便是徳」
女は教養の無いことが徳である。
▲「唯女子与小人為難養也」
女と無教養な人ほど扱い憎い物は無い。(家畜は扱いやすい)
▲「兄弟如手足、女人如衣服」
男同士の絆は自分の手足のように大切だが、女は服を着替えるのと変わらない。
このように、儒学は女性差別の内容が多いことで知られますが、日本へ初めてコレを持ち込んだのは、
百済の王族である辰孫王と、チャイニーズの学者の王仁が、『論語』10巻を持って、応神天皇(在位270ー310年)の御代に来朝されました。
日本人が『論語』を読んでどう思ったかは不明です。しかし、
「何事にも通暁し不明とすることはなかった。」と『日本書紀』に有りますように、
この時は、王仁が講義を行ない、
辰孫王と共に日本へ帰化して「西文氏」の始祖となっています。
旧唐書倭国伝には、
「開元の初め(玄宗皇帝、713年ー741年)また日本の使者(おそらく吉備真備)が来朝し、儒学者の経典を教授してほしいと請願した。
玄宗皇帝は四門助教(教育機関の副官)の趙玄黙に命じ鴻盧寺で教授させる。
吉備真備は、唐王朝から受けた留学手当の全てを書物に費やし、帰国していった」と有り、
彼は『儒教的礼制(孔子などを祀る儀式、儒祭・孔子祭』を日本へ持ち帰ります。
とは言え、日本で「男尊女卑」が積極的に広がっていったようには見受けられません。
やはり下剋上だった、戦国時代・安土桃山時代時代までの考え方を改め、
儒学による政権安定を謀った徳川幕府による物です。
▲「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」『論語 12-11』
父子の関係が変わらないように、君主と臣下の上下関係は絶対で変わることが無い。
「母は母たり」にならないのが、男性上位思考の儒学たる所以です。
このように封建制度は確固たる物となり、徳川260年の安定はもたらされました。
しかしそれは、日本人の思想をすっかり染め替えてしまい、明治維新で近代化してもなお、汚染は祓われることが有りません、
儒学の呪いが取り除かれ、女性が参政権を得るのは、第2次世界大戦に日本が敗けて、儒学を知らないGHQに占領されてからです。
日本人が自らの目覚めにより、女性が参政権を獲得出来なかったのは、誠に残念ではありますが、
一先ずは良かったのでは無いでしょうか。
ところが今、そんな日本へ儒学を持ち込もうとする者が居るのです……
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