秦氏千年の計19 日本の儒学汚染

 儒学じゅがく儒教じゅきょうの始祖である孔子こうしの言葉を、ここに書いてきましょう。

▲「女子無才便是徳」
 女は教養きょうようの無いことが徳である。

▲「唯女子与小人為難養也」
 女と無教養な人ほどあつかにくい物は無い。(家畜はあつかいやすい)

▲「兄弟如手足、女人如衣服」
 男同士のきずなは自分の手足のように大切だが、女は服を着替えるのと変わらない。
 

 このように、儒学じゅがくは女性差別の内容が多いことで知られますが、日本へ初めてコレを持ち込んだのは、

百済くだらの王族である辰孫王しんそんおうと、チャイニーズの学者の王仁わにが、論語ろんご10巻を持って、応神おうじん天皇(在位270ー310年)の御代みよに来朝されました。
 

 日本人が論語ろんごを読んでどう思ったかは不明です。しかし、

 「何事なにごとにも通暁つうぎょう不明ふめいとすることはなかった。」と日本書紀にほんしょきに有りますように、

 この時は、王仁わにが講義を行ない、

辰孫王しんそんおうと共に日本へ帰化して「西文かわちのふみ氏」の始祖となっています。
 

 旧唐書くとうじょ倭国伝わこくでんには、

 「開元かいげんの初め(玄宗げんそう皇帝、713年ー741年)また日本の使者(おそらく吉備真備きびの まきび)が来朝し、儒学者じゅがくしゃ経典きょうてん教授きょうじゅしてほしいと請願せいがんした。

 玄宗げんそう皇帝は四門助教しもんじょきょう(教育機関の副官)の趙玄黙ちょう げんもくに命じ鴻盧寺こうろじ教授きょうじゅさせる。

  吉備真備きびの まきびは、とう王朝から受けた留学手当の全てを書物についやし、帰国していった」と有り、

 彼は儒教的礼制じゅきょうてき れいせい孔子こうしなどを祀る儀式、儒祭じゅさい孔子祭こうしまつりを日本へ持ち帰ります。
 

選挙粛正せんきょしゅくせい婦人聯合会規約ふじんれんごうかい きやく選挙粛正の為に我が国せんきょしゅくせい  ため   わ   くに四千万婦人に愬ふ よんせんまんふじん うった  愛国婦人会あいこくふじんかい 2/3
 

選挙粛正運動せんきょしゅくせい うんどう 国立国会図書館
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 とは言え、日本で「男尊女卑だんそんじょひ」が積極的に広がっていったようには見受けられません。

 やはり下剋上げこくじょうだった、戦国時代・安土桃山時代あづちももやま時代までの考え方を改め、

儒学じゅがくによる政権安定をはかった徳川幕府とくがわばくふによる物です。
 

▲「くんくんたり、しんしんたり、父は父たり、子は子たり」『論語ろんご 12-11』

 父子の関係が変わらないように、君主くんしゅ臣下しんかの上下関係は絶対で変わることが無い。

 「母は母たり」にならないのが、男性上位思考じょういしこう儒学じゅがくたる所以ゆえんです。
 

 このように封建制度ほうけんせいどは確固たる物となり、徳川260年の安定はもたらされました。

 しかしそれは、日本人の思想をすっかり染め替えてしまい、明治維新めいじいしんで近代化してもなお、汚染ははらわれることが有りません、

 儒学じゅがくの呪いが取り除かれ、女性が参政権さんせいけんを得るのは、第2次世界大戦に日本が敗けて、儒学じゅがくを知らないGHQに占領されてからです。
 

 日本人が自らの目覚めにより、女性が参政権さんせいけん獲得かくとく出来なかったのは、誠に残念ではありますが、

 一先ひとまずは良かったのでは無いでしょうか。
 

 ところが今、そんな日本へ儒学じゅがくを持ち込もうとする者が居るのです……
 

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