秦氏千年の計36 荒れる『崇仏論争』

 聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。  これは、一度に1 …

秦氏千年の計35 道臣命 ファースト忍者

 およそ歴史に「忍者」と言える者が初めて登場するのは『神武じんむ東征とうせい』、もしくは、  日向ひむかより大和やまとへ遷都せんとする『神武じんむ東遷とうせん』に際し活躍した「道臣命みちのおみのみこと」が最初となりましょ …

秦氏千年の計33『大警視』川路利良

 織はとり・服部はとりの衣服に関わる渡来系技能者とらいけいぎのうしゃの中に、服部はっとりを名乗り「謀術ぼうじゅつ」を用もちいる忍者が混ざっていて、日本に対し何らかの忍者活動を仕掛けていたのか、  それとも、徐福じょふくが …

秦氏千年の計22 腐敗した「徳川幕府」

 大坂東町奉行おおざか ひがしまちぶぎょうだった跡部良弼あとべ よしすけには、これとは真逆の、  天保てんぽう7年(西暦1836年)11月29日に江戸町奉行の命令で大坂に米を買い付けに来た江戸商人に対し、協力拒否の姿勢を …

秦氏千年の計20『狂狷』と『陽明学』

 孔子こうしと云うのは、面白みの全く感じられない至極凡庸しごく ぼんような男です。  その孔子こうしが書いたのだから、『儒学じゅがく』など大したモノでは無いのですが、見るべきところも多少は有るでしょう。  それが、『狂狷 …