秦氏千年の計36 荒れる『崇仏論争』
聖徳太子しょうとくたいしは「厩戸うまやど」でお生まれになられた厩戸皇子うまやとのおうじとしても知られるのですが、太子たいしを表す御名おんなとして、 「豊聡耳とよとみみ」との表記の方が多く見られます。 これは、一度に1 …
天照大御神《あまてらすおおみかみ》のこと。
オオヒルメムチ。大日孁貴神。大日霊。大日女。天照日女之命。天照坐皇大御神
生きとし生けるもの、全てに渡り差別なく平等に光を注ぐ母なる太陽神であり、豊穣の神。農業神。幡織神。高天原《たかまがはら》の主宰神。
日本国民の総氏神《そううじがみ》。日本人の顕在的な集合意識(潜在的な集合意識はアメノミナカヌシ)。神道(かんながらの道)における主神であり、『父なる大地の神』オオナムチ(オオクニヌシ)と対をなす、天にまします我らが『母なる太陽の神』。
やはり太陽の女神であるワカヒルメ・稚日女尊《わかひるめのみこと》とは母娘とも云われ、
ヒルメは、太陽の男神ヒルコ・蛭子《ひるこ・ゑびす》とも対応する。
ちなみに、女性を『メ』ヒルメ・姫《ひめ》・乙女《をとめ》。男性を『コ』ヒルコ・彦《ひこ》・男《をとこ》と言う。
アマテラスは自らの息子神にあらせられるオシホミミノミコトを降臨させようとされるが、オシホミミノミコトの進言からオシホミミノミコトの息子神のヒコホノニニギノミコトを御降臨あそばした。
母系的に言えば息子の息子も自らの息子である。
これが娘神を御降臨あそばしたとするればどうでしょう? いずれ娘神が跡継ぎとなられる子供神を御生みになられ母となられるでしょうが、その場合に起こる問題は、娘神の母性とアマテラスの【聖母性】が重なって仕舞う事です。
例えば、アマテラスの母であるイザナミは、地下の黄泉でヨモツシコメたちと母系社会を形成します。しかし娘神のアマテラスはこれを継ぐ訳では無く高天原に別の社会を構築していますし、
イザナミも神々の母たる母性を有すのですが「1日千人殺す」死の女神の性質をも合わせ持ち、アマテラスの日本国民の総氏神としての【聖母性】と同じとは言えません。
さらに「母・父」の違いは有るものの、ギリシア神話で父であるウーラノスを追放する息子神のクロノス、更にクロノス自ら我が子に権力を奪われる予言を受け男女問わず子供を呑み込んだクロノス自身もまた、息子神ゼウスに倒された。
そしてギリシア悲劇の、そうとは知らず父王ラーイオスを討ち、図らずも王位を奪って仕舞う『オイディプス王』や、
斉《せい》国の宰相として仕え、5月5日に生まれた男児が後年に父を殺害する迷信から、後の孟嘗君《もうしょうくん》を殺すよう命じた父親の靖郭君《せいかくくん》も又、これに当たるでしょう。
このように存在が重なりその地位を脅かしかねない事態は、親子とは言え「殺すか殺されるか」の一大事なのです。
それ故、アマテラスの【聖母性】を侵さんと、アマテラス以外の女系などと言う妄語を用いて人心を謀る不逞の輩は、太陽の恵みより見放され滅す他ありません。
アマテラスが女神である以上、アマテラス系こそが女系であり、他の女系はアマテラス系では無い。
アマテラスの直系が天皇である。
天皇の在り方は「如何《いか》にアマテラスを蔑《ないがし》ろにしないか」で構築されている、と申せましょう。
しかるに、天皇の父系は、継体系・天智系・天武系・南朝系・北朝系など数多いが、母系は唯一アマテラスのみである。
これがアマテラスの聖母性であり、アマテラスを母、天皇を子とする母子神信仰と成るのです。
天体としてのアマテラスは太陽であるが、太陽を女神とする信仰は古より世界中に多数存在した。しかし徐々に男としての太陽神が多くなって行く。故に女神アマテラスの太陽神信仰は大変に古く、現代においてもその信仰が日本に置いて在り続けるのは貴重と云えよう。
太陽が女神であるから日本では、月はツクヨミ、地球は「父なる大地」オオクニヌシと、共に男神と為る。ちなみに、天皇は北極星(北斗七星)である。
神話としては、ギリシア神話に登場するデーメーテールとの共通点が多く、ゼウスの姉・海神ポセイドーン・冥王ハーデースの役割をスサノオが一柱にて担い。娘を亡くし激怒したデーメーテールが天界を捨て地上を老女となり娘を探して放浪する。
彼女がエレウシスに到着した際、領主ケレオスの娘たちはデーメーテールの惨めな様子に同情し饗すのだが、悲しみに打ちひしがれて出された食べ物に手を付けない。しかし侍女のイアンベが裸踊りをしてデーメーテールを喜ばせると、ようやく彼女は食事を取ったのだが、その姿は。
スサノオにワカヒルメを殺され天岩戸へお隠れになられ、アメノウズメのストリップの騒ぎに、アマテラスが思わず岩戸をお開けになる『岩戸開《いわとびらき》』の伝承と重なります。
「天皇」も、海の神にして冥界の神である父親のスサノオの子孫とは言われません。しかし母親のアマテラスの子孫とは言われます。アマテラスは天神であり「天皇」は天神子です。
アマテラスを男とする意見も存在します。根拠とされるのはアマテラスが男装をしていた事からですが、これはスサノオを迎え撃つため男性がしていた髪型「角髪《みずら》」を結い武具を着けた物でした。
逆に、ヤマトタケルがクマソと闘うため女装をしていますから、ユニセックスが日本元来の文化なのです。
アマテラスを男とする意見は日本古来の『母系』主義を無視しており、「儒学」伝来以降の新しい考え方を取り入れた新興宗教の類いと判断するのが妥当でしょう。
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