秦氏が朝廷にお仕えしたのは、
聖徳太子が摂政を務めておられた、第33代の推古天皇(在位593年ー628年)の御代が初めてではありません。
第29代、欽明天皇(在位540年ー571年)がまだ御幼少であられたある日のこと、皇子は夢を御覧になられました。
「山背国に良い人材有り、登用すれば国を治むるに必ず役立つ。」
皇子は御目覚めになられると、さっそく山背国の秦大津父を探し出しお会いになられ、
「何か気になる事は有りませんでしたか?」とお聴きになられます。
貴き『大口真神』オオカミ
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「何かあると言う訳では御座いませんが。
伊勢へ商いに行っての帰り、稲荷山にさしかかったところ、二頭のオオカミが血を流し争うのを見つけましたので、馬よりおりて手を洗い口をすすぎ、
『貴い神の身でこのように争われる所を、猟師に見つかれば獲られてしまいます。』と、血をぬぐって差し上げました。」
皇子は、「それは何か良いことが有るでしょう。」と御感心され、
天皇に御即位あそばされますと、秦大津父を大蔵司へ任じられます。
大蔵司とは、今の財務省と金融庁を合わせたような役どころで、秦大津父が欽明天皇のスポンサーになった事を意味していました。
実際、天皇家はこれよりしばらく、秦氏の財力をもって政治を行い、
仏教勢力の強くなってしまった奈良から、秦氏の本拠地である「山背国」現在の京都へ遷都し、
千年の都『平安京』を築かれたのです。
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